シリア内戦で血を流した子どもたちの写真がネットで目に飛び込んできても、じっと見ていられない。こちらの体がうずくようで、すぐに画面を閉じてしまう。1人一つずつ持った命や痛みを思う時、地理的な距離は消える。そうした「横」の関係ばかりでなく、過去、将来という「縦」でも人とつながる気がする。

 逆に、国会をにぎわせている話題を遠く感じることもある。男性公務員が亡くなった「森友」は別にして、「加計」「日報」の報道は追いかけられない。政治記者としては失格だが、どうしようもない。
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「戦争はいけない」と実感したのは、一昨年病気になって間もないころだ。にもかかわらず、連載開始から31回目となる今回まで書かずにきた。

 がん患者である私が国民の危機意識を喚起する安全保障問題を持ち出せば、読者に唐突な印象を読者に与えるだろうし、「政権の求心力維持、延命に手を貸すつもりか」と見られるのを想像すると煩わしかった。書きたいテーマはほかにもある。そう思って控えてきた。

 だが最近、考えが変わった。今月9日に受けた毎月恒例のCT検査で、気になる兆候がいくつか見つかったからだ。

 がんが悪化しているかどうかはまだわからない。しかし、誰しも時間には限りがある。将来、頭が働かなくなり、「あの時書いておけばよかった」と悔やむことはないようにしなければ、と考えた。

 そっと目を閉じて、思い浮かべてほしい。

 あなたの大切なお子さん、お孫さんである「何とか君」や「何とかちゃん」が炭のように黒こげになり、苦しみながら命を落とす姿を。あるいはそれすら見せることなく、影だけが残っている風景を。

 もちろん、亡くなるのはあなたで、地獄のような世界に子どもだけがぽつんと残されることもありうる。どちらも同時に消えれば「悲しみ」は生じないだろうが、選べるものでもない。

 考えすぎだよ、とあなたは笑うだろうか。だったらいいけど、と私は思う。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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