日本での活躍を糧にメジャー移籍を果たすのは、何も日本人選手に限った話ではない。古くはセシル・フィルダー(阪神→タイガースほか)、ビル・ガリクソン(巨人→タイガースほか)、オレステス・デストラーデ(西武→マーリンズ)など、来日した後にメジャー復帰を果たした例は数多くある。今オフも巨人で先発ローテーションの柱として活躍した右腕マイルズ・マイコラスがカージナルスへと凱旋した。今回はこうした「元・助っ人」たちをなるべく最近の例に絞ってピックアップしてみようと思う。
まずは、マイコラスと同じく今オフにメジャー復帰を果たした右腕クリス・マーティンから。マーティンは通常のドラフト指名からのプロ入りという形ではなく、独立リーグからマイナー契約でレッドソックス入りした苦労人だ。メジャーデビューはロッキーズ移籍後のプロ4年目だった2014年。ただし16試合のリリーフ登板で防御率6.89と結果を残せず、ヤンキースへトレードされて迎えた翌15年も24試合の登板で防御率5.66と振るわなかった。それでも150キロ台中盤の速球があり、3Aでは防御率3点台前半と安定していたことから15年オフに日本ハムと契約がまとまった。
日本ハムではクローザーも務めるなど救援投手として2年間にわたって活躍した。オールスターに選ばれ、優勝にも貢献するなど充実した時間を過ごした。そしてこのオフにレンジャーズと2年400万ドルで契約してメジャー復帰を実現。かつてのメジャー2年間では未勝利に終わっているだけに、中継ぎ起用とはいえメジャー初勝利を是が非でも手にしたいと願っていることだろう。
メジャーリーガーを目指してプロ入りしたもののマイナーの壁を乗り越えることができず、活路を日本に求めて夢をかなえた例もある。
ヤクルトで守護神として活躍したトニー・バーネットがそうだ。バーネットは2006年のドラフト10巡目でダイヤモンドバックスから指名されたが、2009年に3Aに上がるまでが精いっぱい。とはいえこの年は防御率こそ5点台と悪かったものの3Aで先発ローテーションを守って14勝8敗だった。当時26歳という年齢からすれば近いうちのメジャー昇格も十分あり得ただろうが、バーネットはヤクルトと契約しての日本行きを選択したのだった。
先発で起用された来日1年目の2010年はいまひとつだったバーネットだが、2年目にブルペンに配置転換されるとついに才能が開花する。課題だった制球も安定し、2012年と2015年にはリーグ最多セーブのタイトルも獲得した。そうした実績を引っ提げて15年オフにはついにレンジャーズと2年契約。翌16年に待望のメジャーデビューを果たし、53試合のリリーフ登板で7勝3敗、防御率2.09と抜群の安定感を発揮してみせた。17年は防御率5点台と不振だったが、オフにはレンジャーズと再契約を結んでいる。