東京ドームオープンを翌年に控え、後楽園で最後のペナントレース公式戦となった1987年10月18日の広島vs巨人で、カウント4-2からホームランという珍事が起きた。4点をリードされた巨人は4回1死、吉村禎章がカウント1-2から白武佳久の4球目を見送った。

 本来なら2-2だが、スコアボードはなぜか1-2と表示されたまま。山本文男球審が首をかしげながら自分のインジケーターを見ると、2-2になっている。

 「一体どちらが正しいんだろう?」と達川光男捕手と吉村に確認したところ、2人とも「1-2じゃないですか」と口を揃えたので、「そうか、1-2か」と納得してしまったのが、まさかの珍事の引き金となった。

 吉村は5球目をファウルした後、6、7球目を見送り、4-2になったが、すっかりフルカウントだと思い込んでいる山本球審は四球を告げない。

 実はこの時点で、広島・阿南準郎監督は四球だと気づいていたが、「これは儲けた」と内心ほくそ笑んでアピールしなかったという。

 ところが、本当に儲けたのは吉村のほうだった。4-2から白武の8球目、外角スライダーを左翼席に自身初の30本の大台に乗せるメモリアルアーチを放つ。

「おかしいな、と思っていたけど、そのまま打っちゃいました。30本については(王貞治)監督から“ここまで来たら狙え”って言われてたんで、ホント、ラッキーでした」(吉村)

 その王監督は「“四球じゃないか”と抗議しようと思ったけど、間違ってると恥ずかしいからやめたんだ。吉村はああいうところでホームランを打つから、(日本)シリーズでも期待できるね」と結果オーライにホクホク顔だった。

 一方、山本球審は「私のミス以外の何ものでもありません」。阿南監督も「儲けたと思ったんだけど、人間、正直でなきゃいかんよ」と反省しきりだった。

 最後は番外編として、シーズンオフの「うっかり間違えました」編を紹介する。1998年12月1日、近鉄2年目の若手、前川克彦と中浜裕之はこの日予定されていた契約更改交渉を揃ってすっぽかしてしまった。

 心配した球団側が電話で連絡したところ、前川は「すみません」と謝った後、なんと「今日は11月31日だと思っていました」と苦しい言い訳。呆れた交渉役の藤瀬史朗管理部長が「勝手にない日を作るな!」と雷を落としたのは言うまでもない。

 一方、中浜も「(12月)2日の(午後)2時と間違えました」とこれまた勘違いだったことが判明。

 マスコミで大きく報道され、ようやく事の重大さに気づいた2人は電話で「次はいつ行ったらいいですか?」と問い合わせたが、「大事な話を携帯電話で済ますことはできない」とつっぱねられ、一時は年内未交渉のまま越年の危機に立たされた。

 結局、2度にわたる謝罪と藤井寺球場のロッカーの清掃などの反省が認められ、12月22日、前川は12パーセントダウンの700万円、中浜は現状維持の560万円で契約更改。併せてペナルティとして1、運転免許証没収、2、外食禁止、3、整理整頓が科せられた。

 このお灸が効いたのか、前川は翌99年、9月23日の西武戦(西武ドーム)でプロ初勝利を挙げるなど15試合に登板。1軍昇格を目指す中浜も、ウエスタンで前年を上回る61試合に出場した。

 その後、2013年にも当時オリックスに在籍していた八木智哉が、12月4日に行われる予定の契約更改交渉を同9日と勘違いしてすっぽかす事件が起きた。

 シーズン中はもとより、シーズンオフでもうっかりミスには要注意だ。

●プロフィール
久保田龍雄
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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