ロックの殿堂入りもしているニール・ヤング。日本でも人気のミュージシャンだが、来日初ライブでは後に語り継がれることになる名曲を披露した。音楽ライターの大友博さんが語る。
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1976年の3月10日、つまり42年前のちょうど今ごろ、日本武道館で観たコンサートを僕は今も忘れられずにいる。
もちろん、毎度のことながらチケットなどの証拠が残っているわけではなく、メモのようなものもまったく取っていないので、その細部をではなく、あくまでもそこで味わった空気感のようなものを、ということだ。
以来まさに数え切れないほどコンサートを観てきたはずだが、その日、武道館で耳にした音と目にした光景は、間違いなく、もっとも強い印象を心に刻まれたものだった。
それは、ニール・ヤングの初来日公演。1969年以降の活動に大きく関わってきたバンド、クレイジー・ホースとともに日本の土を踏んだ彼は、愛知県体育館、大阪フェスティバルホール、福岡・九電体育館と3月初旬の日本各地を回り、10日と11日、武道館のステージに立っている。すでにこのコラムで何度か書いてきたとおり、前年12月にはクロスビー&ナッシュ、年が明けるとすぐドゥービー・ブラザーズ、2月にはイーグルスが初来日をはたし、現在60歳前後の西海岸系ロック・ファンを喜ばせていたのだが(経済的にはかなり困らせてもいた)、その「奇跡の4カ月」のいわば真打ちがニール・ヤング&クレイジー・ホースだったのだ。このとき彼は、30歳と4カ月。
アルバムの流れと重ねると、前年75年秋発表の『ZUMA』と、77年初夏発表の『アメリカン・スターズ・アンド・バーズ』のちょうど中間ということになる。
この年、76年の前半、ニールはスティーヴン・スティルスとアルバム『ロング・メイ・ユー・ラン』を録音し、6月下旬からは全米ツアーを行なっているのだが、約1カ月で決裂。移動中、ドライヴァーや仲間たちに、突然、行き先の変更を告げたといういかにもニールらしい逸話が自著『ウェイジング・ヘヴィ・ピース』などで紹介されている。