■中村紀洋(楽天→無所属→横浜)

 近鉄時代に本塁打王(00年)、打点王(00、01年)に輝き、年俸5億円プレイヤーにもなった不世出のホームランアーティスト。メジャー挑戦の後、オリックス中日楽天と渡り歩いた。そして10年オフ、楽天から戦力外通告を受けると合同トライアウトには参加せずに他球団からのオファーを待ったが、一向にNPB球団から声がかからずにいよいよピンチに……。それでも現役を諦めずに自主練習を続けると、11年の5月に横浜(現DeNA)への入団が決定。復帰2年目の12年には「4番・サード」で開幕スタメンを勝ち取り、オールスターにも出場。翌13年5月には通算2000安打を達成するなど、14年オフに戦力外となるまで4年間横浜でプレーした。

■金森敬之(日本ハム→独立リーグ→ロッテ

 東海大菅生高から03年秋のドラフト6巡目で日本ハムに入団した右腕。07年に1軍デビューを飾って計4勝を挙げて注目を集めたが、その後は不振が続いて12年オフに戦力外通告を受けた。だが、13年は四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツでプレーし、35試合1勝3敗2S、防御率2.85の好成績を残すと、同年のトライアウトを経て、育成選手としてロッテへの入団が決まった。その後、移籍1年目の6月には支配下登録を勝ち取り、14年に10試合、翌15年には16試合に登板。17年オフに再び戦力外となり、今年からは社会人野球のパナソニックでプレーする。

■杉原洋(ロッテ→社会人野球→横浜)

 本格派右腕として島根・開星高時代から注目され、03年秋のドラフトでロッテから3巡目指名を受けてプロ入り。しかし、ケガや不振で伸び悩み、1軍登板がないまま06年オフに在籍3年で戦力外通告を受けた。だが、夢を諦めることなく、社会人野球のNOMOベースボールクラブでプレーを続け、09年の社会人野球日本選手権大会の近畿最終予選でノーヒットノーランを達成するなど腕を磨いた。そしてトライアウトに参加した09年の11月に横浜(現DeNA)への入団が決定。24歳でNPB復帰を果たした。その後、10年7月に1軍初登板初先発。11年オフに再び戦力外となった。

■G.G.佐藤(西武→イタリアリーグ→社会人野球→ロッテ)

 豪快なスイングとマイクパフォーマンスでファンの支持を集めたスラッガー。法政大卒業後に米マイナーでプレーし、帰国後に西武の入団テストを受けて03年のドラフト7巡目指名でプロ入りを果たした。その後、07年にレギュラーに定着して持ち前の長打力を発揮し、08年の北京五輪にも出場。11年オフに戦力外通告を受けたが、現役続行を希望してイタリアリーグのボローニャと契約し、12年の8月までプレーした後、富山の社会人クラブチーム・ロキテクノベースボールクラブに選手兼コーチとして所属。そして、同年11月に恩師の伊東勤監督に誘われる形でロッテの入団テストを受けて1年ぶりのNPB復帰が決定した。復帰1年目の13年には30試合に出場。14年オフに戦力外となって現役を引退した。

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