ただ、日本人は自分で「判断する」、自分で「創造する」というような、自らの頭で考えて対応することが、外国人よりも苦手と言われていますよね。そこはもう、外国人と話してみると明明白白で、個人差というよりも、育ち方としか言いようがない気がします。大学時代に研究をしていた友人は、かなりの人がアメリカに旅立ちました。日本人でノーベル賞をとったといっても、アメリカに住んでいる、住んでいたという人は多いですよね。やはり、研究の「議論」はもちろん、そこからの「発想力」というのも(出される研究費も)国によってだいぶ違うと感じます。
以前聞いた話では、外国人は子どもに「感情」よりも先に「論理」を教えるのに対し、日本人は先に「感情」や「協調性」のようなものを教え、段々と「論理」を教える教育をするのだそうです。たとえば、海外では小学校でニュースや日々の出来事に関して議論しており、そこでは感情論より論理性が必要になってくるわけです。10年以上のディベート経験の差は、日頃の発言にも影響してくるでしょう。とはいえ、日本の学校教育は違うからと諦めるのではなく、家で能力を伸ばせばいいだけの話です。私は、息子は別に賢くなくてもいいので、自分の意見をぐっと抑え込んで我慢するのではなく、きちんと論理的に、客観的に発言できる力は育ててあげたいと思います。きっとそのほうが自由に生きられるでしょうから。
論理的な思考をして、自分の意見を言うには、当然「自分の頭の中で考える」という過程が必要になります。そこで私がしているのは、「言葉や動作をさえぎらない」ということ。
子どもは大人に比べたら動作が遅いわけで、明らかに何かを言いたそうなのに言葉がうまく出てこないときは「えーと、えーと……」とモタモタしてしまって、親が「トイレいきたいの?」「このお菓子がほしいの?」と、先回りして言葉を幾つか選び、代弁してしまいがちです。そうすれば、子どもは「うん」か「ううん」の2択で答えるだけで済みます。つまり、「○○をしたい」という言葉を思いついて、自分から発する脳神経のステージまできていないのに、親が「どうにかしてあげよう精神」でパッと教えてしまうわけです。