はるか昔から、決意や誓いのかたいことを表す語として「愛宕白山(あたごびゃくさん)」という言葉が用いられてきた。狂言や浄瑠璃などのセリフにも登場するが、言い換えれば役小角と泰澄という2人に誓って─という意味なのだろう。
●明智光秀、決意の地
こういう背景を持つ愛宕権現は、歴史の舞台に時折登場してくる。
一番有名なものは、本能寺の変の前に明智光秀が山城・愛宕山へ詣でている話だろう。この時詠んだ歌「時は今 あめが下しる 五月哉」は明智の主君討ちの決意を表したものだと言われている。
また、保元の乱の元となった鳥羽法皇と崇徳上皇の諍いは、山城・愛宕山で行われた呪詛の噂がきっかけである。
●この地がなければ無血開城はなかった?
一方、芝・愛宕山は、桜田門外の変を起こした水戸浪士たちが集合した場所であり、江戸城開城を話し合った勝海舟と西郷隆盛が会談した折、この場所から町並みを眺めながら「この江戸の町を焼失させてしまうのは忍びない」と言ったという逸話が残されている場所でもある。
また、いろいろな時代劇で江戸の町を一望するシーンがかなり登場するが、あれほど遠くを見通せる場所は愛宕山以外にはなく、それを教えてくれる資料として、幕末から明治時代に日本全国を写真に収めてまわったイギリスの写真家、フェリーチェ・ベアトが残した記録写真がある。
●世界初の放送専門博物館も
このような地理的要因のためだろう、日本で初めての本放送(ラジオ放送)が始まったのは、この地愛宕山からだった。1925(大正14)年7月12日のことである。その28年後の1953(昭和28)年2月1日にテレビ放送が開始され、山からわずか数百メートルのところに東京タワーが立ち上がると、都内のテレビ局は全局東京タワーから放送するようになった。自然にできた小山の場所が、東京全域へと電波を発するのに最もふさわしい場所として認識されたということなのだろう。
愛宕山は“放送のふるさと”として親しまれ、現在ここには世界初の放送専門博物館である「NHK放送博物館」が神社と並んで立っている。博物館は2年前の冬にリニューアルオープンし、8Kはじめ新たな技術を体感できるスペースとして注目されている。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)