日本全国には同じ名を持つ山がたくさんある。たとえば、城山、丸山、大平山、高山などなど。中でも愛宕山という山は全国に100以上あり、これを知らないと出身地によっては大変勘違いさせられる山であるが、いずれの山の頂上にも「愛宕神社」の火伏せの神さま、あるいは地蔵菩薩を祀るお寺が鎮座している。
●東京23区内で一番高い天然山
都内にも有名な「愛宕神社」があり、これは徳川家康が関東入りをしたのち、山城国(現在の京都府)の愛宕権現をこの地へ連れてきたことに始まる。
愛宕山の名はその時からの地名と思われるが、23区内では一番高い天然山で、標高は約26メートル、たいした高さではないが平野の広がる江戸の町中にあっては唯一の高地ともいえる場所であった。今はまったく見えないが、当時は向島から江戸湾まで見渡せたというから、その眺望の良さは江戸随一だっただろう。四季折々に錦絵に描かれてきた場所で、山頂まで続く男坂は86段あり傾斜40度の急階段、右手にある女坂でも109段、これは昔も今も変わらない景色である。
●家康の勝軍地蔵を祭る場所として
家康がこの地に愛宕権現を据えたのにはいろいろな理由があった。関ケ原の戦いを前にして、長く戦地へ帯同していた勝軍(しょうぐん)地蔵へ「勝ち」を祈願する場所としてこの地を選び仮宮を建てた。そして江戸開府にあたり祈願所の仮宮のあったこの地へ、江戸の町の防火を目的として愛宕権現を呼び寄せたのである。江戸時代、徳川への忠誠を示すためか、あるいは家康を天下人へと導いた権現への信仰からか、愛宕権現は全国各地へ勧請(かんじょう/分霊し移転すること)されていった。このために現在は、100以上の愛宕山が各地に存在し、明治時代の神仏分離令によって片方は愛宕神社になり、他方は勝軍地蔵菩薩を祭るお寺となったのである。
●本家の愛宕山の歴史
山城の愛宕権現の創建は飛鳥時代末期で、役小角(えんのおづの/修験道の開祖)と泰澄(たいちょう/白山信仰の祖)によるものとされている。山岳信仰である愛宕山には、太郎坊という天狗が住み、明治時代まで続く神仏習合の時代にはこの天狗さまが常に信仰の中心にいた。
そして長く修験道の道場として信仰されていくのだが、やがて火伏せの神としても知られるようになり、武士の台頭とともに勝軍地蔵を祭る武神としても崇められるようになっていった。