三次駅を発車してから約1時間後の午前6時35分、列車は時間調整のため、口羽駅(島根県邑南町)に28分停車する。ドアが開くと、乗客は一斉に外に飛び出した。ホームから列車を撮ったり、駅のトイレに行ったり、自販機で飲み物を買ったりしている。記者も降りてみると、駅舎の隣に露店なるものがあり、明かりで照らされている。「口羽駅マルシェ」、それがこのお店の名前だという。商品が置かれた机の上には、三江線手ぬぐい、同BOOK、同写真集……などなど三江線グッズが目白押しだ。他にも、地産の茶葉やジャムといったものまで売られている。店主は、「口羽駅に列車が長時間停車する、朝と夕方の時間帯だけ店を有志で開いている。一日の中でこの時だけが賑わう瞬間です」と話す。さらに駅待合室に行くと、「口羽駅ノート」と書かれた交流ノートも置かれていた。なるほど、口羽駅は三江線ファンの「聖地」の一つと言えそうだ。
こうして列車の発車を待つ間に、空が白み始める。ここでようやく、自分は朝もやに包まれた山の中にいるのだということを実感する。午前7時03分、長い時間調整を経て、三江線は再び動き始める。するとワンマン運転士からこんなアナウンスがあった。
「口羽駅から浜原駅の間は、三江線が最後に開通した区間です。そのため、山や川を貫くような形で作られています。この先スピードが上がりますが、安全運転で参ります」
こう言って、列車(キハ120系)のディーゼルエンジンがうなりを上げる。これまであまりなかった長いトンネル内をこれまでの倍近い速度で走り抜ける。トンネルから出ても高架が続き、赤茶色の瓦をした集落の家々が眼下に見える。この赤茶色の瓦は「石州瓦」と言い、寒さに強いのが特徴だ。小高い山と山の合間に、こうした赤茶色の集落が広がる光景は、日本の中でもこの一帯ならではといえる。
間もなく列車は7時11分、「天空の駅」と言われる宇都井駅(島根県邑南町)に到着する。この駅は地上20メートルの高架の上に駅があるのが特徴で、地上との行き来は116段の階段のみ。バリアフリーに真っ向から勝負を挑んだ駅として知られている。宇都井駅には1分間停車し、その間車内から写真を撮る乗客も多かった。
浜原駅(島根県美郷町)を過ぎると、列車は江の川に忠実に沿う形で、再びゆっくりと走り始める。車はおろか、自転車にすら追い抜かされそうな速さだ。川に向かってすぐ下を見ると、線路に沿って車一台分しか通れないような小道が走っているが、車は一台も走っていない。ところが、顔を見上げ川の向こう側を見ると、バイパスのような高規格の道路が通じており、何台もの車が列車の倍以上の速度で走り抜いている様子が見える。なるほど、元々はこういう小さな道しかなく、輸送手段の主役は他ならぬ鉄道であった。だが道路網の整備に伴い、今こうして三江線は姿を消そうとしている。
時刻も午前8時を回ろうというところであるが、記者が他の地方交通線に乗った経験と照らし合わせても、奇異と思しき現象があった。学生の乗車がほとんどといって見られなかったのだ。通常の場合、ローカル線の朝8時台ともなれば、地元の高校生などが大挙して乗車し、車内は立ち客であふれ大賑わいとなる。こうした通学需要によって、廃止にならない路線も少なくない。だが、三江線の江津行きではそれがなかったのだ。その代わり、車内にあふれているのは鉄道ファン。まさに、ロウソクが消える前の最後の輝きがいま放たれようとしている。
江の川も下流に近くなり、河川の幅も少しずつ広くなっていく。石見川本駅(島根県川本町)を過ぎると、徐々に地元と思しき高齢者の人も乗り込んでくる。鉄道ファンを除けば、こうしたご年配の方だけが本来の乗客と言えそうだ。
そんなことを考えながら、時間は午前9時ちょうど。川戸駅(島根県江津市)に到着すると、10人以上の幼稚園児の団体が乗り込んでくる。引率の先生によると、「廃線になる前にこの子達に電車の乗り方を教えるため」だという。江津駅で幼稚園バスと待ち合わせており、帰りはバスで幼稚園に戻るようだ。普段にはない乗客の多さにも驚いていたようだった。
「三江線がのうなったら、子どもらにどうやって列車の乗り方を教えりゃええんじゃ」
物悲しいような、諦めにも似たそんな声も聞こえてきた。
やがて江の川も河口となり、右前方には、「新江川橋」という二階建ての道路になっている巨大な橋も見えてくる。江津駅も間近だ。いつしか隣にいた二人の老婆が、廃線後のバス転換について会話の中でこうこぼしていた。
「バスのほうが便利になるじゃろうが、列車のほうが風情があるけぇね」
午前9時31分、定刻通りに列車は江津駅に到着する。この列車は江津駅に37分停車したのち、浜田駅に向け山陰本線を西に進んでいく。記者は出雲方面へ東に向かったため、ここで乗り換えとなった。
乗車時間3時間53分。車内からは三江線との別れを惜しむ声は聞こえてきたが、廃線に真っ向から反対するような声はなかった。道中の駅などを見ても、ファン交流ノートの類などはあっても、「廃止反対」といったような主張のものは見られなかった。
寂しいが、これも時代の流れなのか……。(河嶌太郎)