J3のガイナーレ鳥取からの契約満了が発表された前田俊介も、天才と呼ばれ続けた選手だ。サンフレッチェ広島ユース時代からスケールの大きなプレーを見せ続けてトップ昇格し、大きな期待を背負った。しかし、自分勝手なプレーの多さから、当時のミハイロ・ペトロビッチ監督からも再三にわたる苦言を呈された。ピッチに立てば攻撃の部分で鮮やかなプレーを見せる一方で献身性はあまりにも低く、ポジションを奪えなかった。結局、J1からJ3までのチームを転々として、先日に鳥取と契約満了。現役を続行するのかどうかにも注目が集まる。

 また、負傷というアスリートにとって最大の敵とも言えるものに飛躍を妨げられた選手もいる。中田英寿などと臨んだU-17世界選手権で日本の中心選手だった、財前宣之がそうだ。非凡なパスセンスを持つ攻撃的な中盤として95年にヴェルディのトップにユースから昇格すると欧州に挑戦。イタリアでのプレーを経てスペイン1部に移籍したが、そこで左膝前十字靭帯を断裂。結果的に、キャリアの中で3回も靭帯を切るという悲劇に見舞われた財前は、ベガルタ仙台やモンテディオ山形でプレーし、現役の最後はタイでプレーして12年に引退。所属先クラブのサポーターには愛されたが、その才能がフルに発揮されていたら、中田よりも先に欧州で認められる日本人選手になっていたかもしれない。

 徐々に日本サッカーと世界の距離が近づくにつれて、欧州にキャリアのスタートを定めた選手たちも出るようになった。その先駆者的な存在だったのが、玉乃淳だろうか。東京ヴェルディの下部組織から、99年にスペインのアトレチコ・マドリードのユースへ移籍。スペインでのプロを目指したが、3年目に帰国して東京Vでデビュー。しかし、レギュラー獲得には至らず、J2のクラブを渡り歩いて2009年に引退した。その後は解説者として人気を博しているが、“スペインの名門育ち”という言葉はプレッシャーになっていたのかもしれない。

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