多額の奨学金返済を背負い、その苦しい思いをこのコラムで何度か、書いている元SEALDs諏訪原健さん。奨学金問題の是非はいつも激しい論争が巻き起こるが、そこには世代間ギャップがあるのではないかと分析する。
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「早く奨学金返しなさいね」
講演や集会などで、奨学金問題について話をした後、時々こんな言葉をかけられる。おそらく励ましの意味を込めて発せられた言葉なのだろうが、私はそれを素直には喜べない。
というのも、私としては、奨学金問題を私たちの社会が抱えている問題であると意識的に伝えているつもりだからだ。話をするときには、奨学金を実際に借りている中での経験はもちろんだが、国際的に見て日本は教育への公的支出が少ない国であることや、学生支援制度が充実していないことなどを述べるようにしている。
その感想として「早く返しなさいね」という言葉をかけられると、どこか問題を矮小化されてしまったような気がしてしまう。だいたい早く返したほうが良いことは、わざわざ他人に言われるまでもなく痛切にわかっている。その一方で、わざわざ声をかけてきてくれること自体はありがたい。そんな気持ちが錯綜して、何とも複雑な気持ちになる。
ある日の講演の後、ひとりの年配の参加者の方から「奨学金大変だね、早く返さないとね。」と声をかけられた。私は正直「またか…」と思いながら、「そうですよね、頑張ります。」なんて言葉を返した。その後に、彼は次のような疑問を投げかけてきた。
「育英会の奨学金は、無利子じゃないの?」
「国立の授業料はだいぶ上がっているの?」
「教育学部なら先生になったら免除になるんじゃなかった?」
質問を聞きながら、「そうか、そのあたりから認識が全然違うのか……」と思ったけれど、とりあえずひとつひとつ答えていく。ひと通り答え終わった後、彼の口から出た言葉は「だいぶ変わっているんだね……今のうちにどうにかしないと、この社会はもたないね。」というものだった。その言葉を聞いたら、何だか少しでも言いたいことが伝わったように思えて、救われた気がした。
考えてみれば、人生の中で「授業料」とか「奨学金」について考えないといけない時期など一瞬のことだ。その後の世代がどんな状況にあるかなんて、知らなくても生きていける。それどころか、生涯にわたって考えることのない人だって多くいるだろう。世代や経験が異なっていれば、「奨学金」をめぐる認識に大きなギャップがあるのも当たり前のことだ。