風雲児、革命家、異端児、天才、至宝――立川談志は枕詞に事欠かない落語家だ。その素顔は、いったいどのようなものだったのか。立川談志の愛娘である松岡弓子さんは、父としての談志も「あのまんまだった」と語る。

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 父は、家でもテレビに出ているときと変わりませんでした。家族をとても大事にする、愛情深い人ではありましたが、口調とか了見とかはまったく同じ。了見というのは、物事に対する態度や考え方、生きる指針みたいなもので、それが常に変わらないから、家庭と公の場で態度や言動が変わらなかったんでしょう。

 うそがなくてブレない人だったし、落語には本当にまじめに、真正面から向き合っていました。父は「落語とは人間の業である」と言いましたが、落語には人間の人間らしい部分が詰まっている。だから好きだったんでしょう。

 父は了見を表す言葉をたくさん残しました。
「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」
「愛想笑いはするな」
「嫌なことはしないでおこう」

 私は、こういう父の了見を基準に、これから生きていこう。父が死んだとき、真っ先にそう決めました。それがいちばん正しい生き方だと思うから。

※週刊朝日 2012年8月31日号