江戸時代後期に起きた安政の大地震は、長く続いたことで日本中を不安に陥れたが、この時、多くの「鯰絵(なまずえ)」がお守りとして発行されている。鯰絵のモチーフの多くは、鹿島の神さま(タケミカヅチ)が要石を使ってナマズの頭を押さえつけている、というものだ。江戸時代、ナマズと地震と鹿島神宮の関係は有名だったのだ。
●武神として名高い国造りの神
鹿島神宮と香取神宮の祭神が、地震を抑えるパワーを持つと考えられていたのは、ともに国を平定する神話の中で武勇に富む話の中心であり、武神として崇められていたためでもある。両宮の創建は神武天皇時代(紀元前660~640年頃)と言われているが、長い歴史の中で多くの剣豪や為政者たちにとっての聖地として崇められてきた。
大化の改新の中心人物・中臣鎌足(藤原氏の開祖)の出生地が、常陸国(現在の茨城県)である説が有力なのも、藤原氏の氏神である奈良・春日大社が鹿島神宮、香取神宮の2神を勧請して創建されたお宮であるためだ。春日大社になくてはならない鹿は、鹿島神宮に由来している。
さて、要石は“金輪際(こんりんざい)”から生えたものだという説がある。“金輪際”とは、仏教用語で大地のうーんと下(160万由旬の距離)の世界の果て(=金輪)の“きわ(際)”を指す。われわれが使う「もう金輪際、かかわらないからね!」という“決して”や“二度と再び”という意味は、ここから派生した意味なのだ。
それほど深く、球体の中心に近い場所からの動きは、地表に届く頃には大きなパワーになっているにちがいない。そう考えると要石は、実は金輪際の動きをいち早く伝えるためのものなのに、われわれがそれをうまく活用できていないのではないのか?と疑ってみたくもなる。なぜあんな石が地震を抑える力があると2000年も前から伝わっているのか、そうでも思わなければ納得がいかない、といったところではないか。まったく不思議な石である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)