私は長く経産官僚として役所の忖度がどういうメカニズムで発動されるのかを直接見聞きしてきた。その体験から見ると、現在テレビや新聞・雑誌などで行われている「忖度」の議論は、どうも一面的、部分的な議論にとどまっているように思える。
「忖度」の定義は難しいが、国語辞典などには、「他人の心を推し量ること」などと書かれている。しかし、官僚文化の中での「忖度」には、もう少し「色」がついている。
まず、忖度が問題となるのは、“筋悪の案件”の場合だ。忖度という言葉には、ある前提がある。それは、忖度の対象となる人の内心が、表向きは不明であるということである。
例えば、企業において、利益を追求することは当然のことであり、社長が利益を求めていることは、様々な形で外形的に明らかである。このような場合、社員が、社長の指示がないまま、利益追求のために行動しても、それは「社長の意向を忖度した」とは言わない。
忖度という言葉が使われるときには、その対象となる人が、「表向きには言えないことを考えているはずだ」と読み取ることがカギになる。「表向きには言えないこと」とは、違法なこと、やってはいけないこと、考えてはいけないことである。法律の執行を上司の指示なくやっても、それは忖度と言わないが、違法なことを「上司はそれを望んでいるだろうと推し量って行うこと」が忖度である。つまり、「忖度」は常に違法まがいの問題を常に孕んでいるのだ。
次に、忖度の対象となる人は、自分の上司、または、自分の出世(目の前のことだけではなく、一生を通じての)に影響力を持つ人である。それは役人だけでなく、上司などに影響力を持つ政治家、業界関係者なども含まれる。
そして、これが、最も重要なのであるが、役所においては、「不忖度への懲罰」と「忖度への報酬」が他の組織に比べて、極めて大きいという実態がある。