人類の半分である男は獣で悪魔で、世界は敵意に満ちていると感じながら過ごすこと。

 些細な出来事にも過敏に反応し、緊張状態になってしまう身体を抱えながら、いつ何が起こるかわからないという恐怖にさいなまされて生きること。

 性的な被害を受けた自分は、傷ついて汚れていて恥ずかしくて、生きている価値がない人間だと思いながらも、命をつなぐこと。

 このような思いを感じながら日々暮らすことは、生きることをとても難しくした。

 今私は、看護師として働きながら、私自身の性暴力被害の経験やその影響について講演などでお話しし、性暴力が実際にどのようなものであるのかを伝える活動をしている。被害経験を持つ当事者として自助グループを運営したり、イベントを開催したりもしている。

 しかしまだまだ、数多くの性暴力が起こっていることや、それが被害者に深いダメージをもたらし、人生に大きな打撃を与えてしまうことは、あまり知られていないと感じる。

 性暴力は大きな衝撃を与えるので、被害を受けた当事者ですら、自分に起こったことについて理解し、自分がどのような状態にあるのか伝えていくことが難しいものだ。当然、被害者の身近な人や関係者もその「傷つき」を理解できず、不適切な対応をしているということが起こっている。

 私は講演を依頼されるとき、「性暴力被害を経験した心情を話してください」とよく言われる。

 その瞬間の思考停止や恐怖、自分が自分でなくなるような感覚、絶望感やさまざまな混乱した感情……。あの体験が自分の内面にどのように食い込み、どのように自分自身を変えてしまったのか、それを思い起こし感じながら語るのは、とても難しいことだった。

 それが、性暴力の事実は伝えられても、その影響が語られず、性暴力が実際にどのような被害であるのかを見えにくくしていることにもつながっていると思う。

 私も長い時間の中で、支離滅裂な行動を繰り返し、たくさんのお金やエネルギーを使い、被害を受けたときには流せなかった涙を流しながら、自分が受けたダメージのケアに取り組んできた。

 そして、自分以外の被害当事者たちや支援者、専門家からの学びを得て、性暴力の事実だけではなく、その影響について自分なりに理解できるようになった。被害を受け始めた13歳から、この本で書いたような内容を伝えられるようになるためには29年の歳月を必要とした。

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