少子高齢化が進む日本で、今後、医療の現場はどう変わっていくのか。アエラムック『AERA Premium 医者・医学部がわかる』では、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広医師に、医学部を志望する学生に向けて「これから求められる医師像」を示してもらった。
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「チャンスがあれば、シンガポールかインドネシアで働きたいです。話があれば紹介してください」
大学時代から指導している医師夫妻に、こう言われた。本稿では、この夫婦を例に、これからの医師像を論じたい。
二人は1987年生まれの29歳。それぞれ灘(兵庫)、桜蔭(東京)を卒業し、東大理IIIに現役で合格した。
私は、2016年3月まで、東京大学医科学研究所で研究室を主宰していた。夫は大学1年から、妻は大学3年から指導した。
大学生のころから、二人は何事にも積極的だった。「医師のキャリアパスを考える医学生の会」というコミュニティーを立ち上げたり、朝日新聞やイギリスの医学誌「ランセット」などに文章を発表したりした。
二人が大学5年生だったとき、東日本大震災が起こった。自ら希望し、福島・浜通りの医療支援を行っていた我々のチームに合流した。従事したのは、福島県相馬市、飯舘村、川内村などの住民の健康診断から、南相馬市立総合病院の医療記録の整理まで、多岐にわたった。このような活動を通じて二人は親しくなり、いつの間にか付き合い始め、卒業と同時に結婚した。
初期臨床研修は、亀田総合病院(千葉)で終えた。その後、二人は「被災地で診療したい」と希望し、夫は相馬市内の民間病院、妻は仙台市内の民間病院に就職した。夫の専門は内科、妻は麻酔科。症例数は多いが医師が少ないため、いち早く経験を積めるからだ。しばらく週末だけ同居する“2カ所居住”を続けていたが、その後、妻は南相馬市立総合病院に移った。現在は相馬市内の自宅で同居している。
彼らは、ここでも積極的に活動している。仮設住宅、復興住宅の住民のケアから、上海、ネパール、フィリピン、バングラデシュといった国々との共同研究も行っている。主著、共著を含め、夫妻で既に20報以上の英文論文を発表している。今後は日本を離れ、アジアで診療することを希望している。
なぜ、アジアなのか。