バレーボールは団体スポーツで、1人の力で勝つことはできない。
とはいえ、それでも大事な場面、この1点で勝負が決まるマッチポイントや、終わってみれば「あそこが勝負の分かれ目だった」と振り返るようなポイントで、いつもその中心にいる選手も存在する。
石川祐希は、まさにそんな選手だ。
たとえば昨年末、愛知県名古屋市で行われた全日本インカレ、中央大のエースとして出場した石川は決勝で東海大と対戦。「めちゃくちゃ気合が入っていた」と言う石川のサーブから始まった試合は、東海大の積山和明監督が「選手は度肝を抜かれたと思う」と脱帽したほどの威力で、連続ポイント。試合を左右するスタートで石川のサーブで相手を圧倒した中央大が東海大に勝利し、3年連続の日本一に輝いた。
さかのぼれば愛知・星城高校時代にはインターハイ、国体、春高など高校生の主要タイトルを軒並み制し、「三冠」ならぬ、2年生からの連覇を重ねた結果「六冠」タイトルを獲得。どのカテゴリーでも常に圧倒的な存在感を発揮し、勝利を重ね、2014年には日本代表にも初選出され、アジア大会に出場して銀メダルを獲得。翌年のワールドカップでは、ポーランド、アメリカ、イタリアといった世界の強豪に対しても、サーブやスパイク、石川自身も武器とする攻撃力が冴え、6位と躍進を遂げた。
端正なルックスも相まって、ワールドカップが終了してから5月の五輪最終予選までの間、書店には男子バレーボールを扱う雑誌が数多く並び、そのほとんどは石川の写真が表紙。大学リーグの試合にも多くのファンが訪れるなど人気も爆発、常に多くの注目と期待が寄せられ続けてきた。
だが、リオ五輪への出場をかけた最終予選ではオーストラリア戦の試合中にケガで途中退場を余儀なくされ、中国、ポーランド、イラン、オーストラリア、カナダに敗れた日本は8チーム中7位に終わり、五輪出場は叶わず。
「自分が不甲斐ないせいで負けた」と口にした石川は、4年後の東京五輪へ向け、ひとつの決意を固めた。
イタリア、セリエAへの挑戦だった。
2年前の2014年にも短期留学という形で、セリエAのモデナへ渡った。だが、各国の代表チームで軸となる選手を多く擁し、常に優勝争いを繰り広げる強豪チームでは石川の出番はないどころか、石川曰く「お客さんのような状況で、ただ経験をした、というだけ」。それでもトップ選手たちがどんな日常を過ごしているのか、欠点などないパーフェクトのように思っていた選手にも好不調の波があることなど、行かなければわからなかったことは多くあり、3カ月という短い期間ではあったが、石川にとって貴重な経験を得る時間であったのは間違いない。
そのせいか、ワールドカップや五輪最終予選を経て、再び海外へと目を向けるのはごく自然な流れだった、と石川は言う。