3月のデ杯イギリス戦での錦織圭は、アンディ・マレーに敗れてチームの敗退が決まった。だが、両者の間には、技術的な意味での差はほとんどなかった。差があったとすれば、マレーにとってはホーム開催のデ杯であったことと、強敵との試合経験の積み重ねが存在しただけだった。
今季の錦織は「天敵」と言われたリシャール・ガスケをマドリッドで初めて破り、このローマでも下した。ガスケはマドリッドで「彼は世界の6位なんだから、いつまでも自分が勝ち続けられるわけではない」という言い方をしていた。このガスケの言葉が今の錦織の立ち位置を端的に示している。それは今のテニス界において、錦織が誰を相手に勝とうが何の不思議もない選手である、という空気になっているということだ。
フォア、バックともに錦織のストロークラリーの支配力は世界屈指と言ってよく、デ杯でのマレーがストロークでの真っ向勝負を避け、守備からのカウンターに徹したのも絶対に負けられない一戦だったからでもあったが、錦織に欠けているものがあるとすれば、この部分だろう。
マレーはもちろんだが、ジョコビッチ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダルのいわゆる「ビッグ4」は、この10年繰り返し戦い続け、ほとんどの大会のトロフィーを独占し、君臨してきた存在だ。
テニスのような対戦競技では強敵との戦いの中でしかつかめない感覚がある。彼らはその戦いの中で、強敵たちと戦うためのプランB、あるいはCを作り上げ、またメンタルを磨き抜いて来た。強敵に対して、その日の自分の何が通用し、どういうプレーをすれば勝てるのか。強敵にどういうプレーをさせてはいけないのかなどの経験の蓄積は、彼らの巨大な財産になっていて、それが他の選手たちを大きく引き離している大きな理由でもある。
例えば、ジョコビッチはナダルとは49試合、フェデラーとは45試合、マレーとも32試合を戦っている。いずれもテニス史に残るのが確実の強者たちが、文字通りの切磋琢磨を続けて来たのだ。グランドスラムはもちろん、ATP1000大会のタイトルがほぼ彼らの独占状態となっているのもまた、当たり前のことと言っていい。