加藤登紀子と同様に東大卒の歌手といえば、ミュージシャンの小沢健二。当初はユニットで活躍していたが、1993年にソロデビュー。その翌年に「今夜はブギー・バック」が大ヒットし、95年から2年連続で紅白歌合戦に出場した。
前出の三杉さんは話す。
「東大卒ということを大きく打ち出していません。その看板がなくても勝負できているということですね」
ちなみに、本誌の名物企画から生まれた東大タレントもいる。高田万由子の芸能界入りのきっかけは、91年の本誌女子大生表紙モデルだった。写真を撮った篠山紀信氏の事務所に行ったときにCMデビューの話が決まった。
東大の看板を掲げず実力で活動する例として、三杉さんが挙げたのは俳優の香川照之だ。香川は、文学部社会心理学科を卒業。しかし、二代目市川猿翁と女優の浜木綿子の子という点のほうが注目されていたくらいだ。俳優としての知名度は、着実に映画やドラマで好演・怪演を重ねた結果。12年には九代目市川中車を襲名し、歌舞伎俳優との二足のわらじを履くようになった。今の20代以下は東大卒ということをほとんど知らないのではないだろうか。
こうした流れから一転、あるタレントの登場によって、芸能界における東大の位置づけやイメージががらりと変わる。菊川怜だ。そのルックスを生かしつつ、香川や小沢とは対照的に「東大」の看板も芸能活動で強調したからだ。在学中の98年に「東レ キャンペーンガール」に選ばれ、すぐさまドラマで女優デビュー。小林さんはこう指摘する。
「エポックメイキングな存在です。それまでの東大のイメージとはちがう美人が出てきた。しかも工学部建築学科卒で、“リケジョ(理系女子)”だったことも大きい」
クイズバラエティーにも「東大卒」をひっさげて登場し、軽妙なトークと知的で明るいキャラクターを世に定着させ、02~17年には情報番組のキャスターを通算12年務めた。東大ブランドを生かしつつ、とっつきにくいとも捉えられかねない東大の負のイメージを払拭していったのが菊川だった。
「東大に対して『勉強ばかり』『あか抜けない』というイメージを持っていた人は、きれいで社交性がある菊川さんにギャップを感じたんじゃないでしょうか。才色兼備の東大女性ブーム、高学歴女性タレントブームをつくりましたよね。今、東大ブランドで勝負している人たちにとって、菊川さんの影響は大きいと思います」(前出の三杉さん)