ルーツは母親の体臭か。けっこうな腋臭(わきが)だった。

 高校生のころ、学校図書館でお世話になった司書のおばさんのムスク系の香水。そのころつきあっていた女子高生の髪の匂い。芸大生のころ、彫刻科の仲間と行った千日前のアルサロチェーン店『ハワイ』で、消灯タイムにホステスのスカートを頭からかぶったときの鼻がもげそうな臭い。某大手スーパーに勤めていたころの課長の口臭。高校教師になって初めて韓国へ行き、関釜フェリーを降りたときのキムチ臭。その翌年の夏休み、カルカッタ(コルカタ)の空港に降り立ったときのスパイス臭。シンガポールのホテルで食ったドリアンの臭い。高校教師を辞めて作家専業になったころ、新宿三丁目で麻雀をした将棋棋士の足の臭い(靴を脱いでスリッパに履き替えていた。あの臭いで負けた)。なにかのパーティーで話を交わした作家の体臭。毎年、人間ドックのときに会う病院長の口臭。直木賞をもらってテレビに出たとき、MCをしていたジャニーズ系タレントの口臭──。と、漢字で書くと“匂い”ではなく、“臭い”につながることごとはいくらでも思い出せる。

 きつねうどんはほどほどの味だった。その帰り、

「臭いで思い出すこと、ある?」訊(き)いてみた。

「あるよ」と、よめはん。「ピヨコちゃんと初めて飲んだとき、鴨川でゲーゲー吐いたやろ」「憶(おぼ)えてへん」「スルメが腐ったような臭いがした。イカなんか食べてへんのになんでやろ、と不思議やった」「ほかには」「琵琶湖に泳ぎにいったとき、ピヨコは車の中でおもらしした」「あのときは泳ぎながら洗うた」「まだあるよ、いっぱい」「もうよろしい」

 つまらぬ話をふってしまった──。

週刊朝日  2020年4月3日号

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