ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回はにおいについて。
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よめはんと国道沿いのうどん屋に初めて行った。
車を駐(と)めて車外に出たとき、いやな臭いがした。見ると、駐車場に口径の小さいマンホールがいくつか並んでいる。そう、集中浄化槽の臭いだ。エアポンプの風量不足か、便槽の清掃をしていないからだろう。
「ほかへ行こか」「なんで」「不味(まず)そうな気がする」「あ、そう」「分からんか、この臭い」「かつおだしかな」「それもある」
厨房(ちゅうぼう)のあたりで換気扇がまわっていた。
また車に乗るのも面倒だから店に入った。小あがりに座って、よめはんはだし巻き定食、わたしはきつねうどんを注文し、昨日の麻雀の話(よめはんは四暗刻、わたしは国士無双をアガった)をしていたが、なにかしらんくさい。足の臭いだ。わたしは水虫でもないし、真冬でもビーチサンダルで近所を徘徊しているから臭いはないはずだと、座布団に鼻を近づけた。
ウゲッ──。あまりの悪臭にのけぞった。よく見ると縞柄の座布団はぺちゃんこで染みだらけだ。直前までここに座っていた人物の蒸れた靴下が瞼(まぶた)に浮かぶ。小肥(こぶと)りで赤ら顔、きっとわたしと同じようなドロボー髭の爺さんにちがいない。
「ひどい臭いやな」
「そう?」わたしの加齢臭には敏感なくせに、よめはんは気にするふうがない。
「よう見てみい。座布団」
「わっ、汚な」
そそくさと小あがりからカウンター席に移動した。この店には二度と来るまいと心に誓った。
わたしは子供のころから鼻が鋭い。食べ物、飲み物はもちろんのこと、ミミズから芋虫から雑草まで、手にしたものはなんでもにおいを嗅いできた。会ったひとの顔や名前はすぐ忘れるくせに、においは忘れない。