未所属の時に手を差し伸べてくれた中日で見事復活した中村紀洋 (c)朝日新聞社
未所属の時に手を差し伸べてくれた中日で見事復活した中村紀洋 (c)朝日新聞社
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 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため開幕が延期されているプロ野球だが、その間に未所属の浪人状態が続いていた鳥谷敬のロッテ入りが電撃的に決定。すでに新しいユニフォームで練習試合にも出場して複数安打も放ち、マリーンズファンから熱烈な歓迎を受けている。今後、鳥谷自身が新たな舞台で活躍することは、“拾ってくれた”ロッテ球団だけでなく、古巣の阪神ファンに対する「恩返し」の意味を持つことになる。

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 過去を振り返ると多くの恩返しプレイヤーたちが存在する。例えば、中村紀洋だ。近鉄の主砲としてパ・リーグを代表する強打者となった後にメジャーに挑戦するも、思うような結果を残せずに日本球界に復帰。オリックスで1年間プレーしたが、怪我もあって2006年のオフに自由契約となった。各チームの春季キャンプが始まった後も所属先が決まらずにいたが、そこに手を差し伸べたのが当時中日の監督を務めていた落合博満監督だった。

 最初は年俸400万円の育成契約だったが、オープン戦で結果を残して支配下登録されると、開幕直後から快音を重ね、クリーンナップも務めながらチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。特に日本シリーズでは腰痛に苦しみながらも鎮痛剤を打って強行出場し、打率.444(18打数8安打)、4打点の活躍でシリーズMVPに選出された。この07年シーズンだけでなく、楽天戦力外となった後に未所属のまま自主トレーニングを続けていた11年にも、5月末にDeNAからオファーをもらい活躍の場を得た。すると、そこでもしっかりと結果を残し、翌12年、13年は主力として活躍して“恩返し”することに成功している。

 少し昔に遡ると、漫画『あぶさん』にも度々登場した山本和範(カズ山本)の名前が思い出される。高卒ドラフト5位で近鉄に入団して6年間在籍するも1軍で計6安打と結果を出せずに戦力外となったが、バッティングセンターでアルバイトをしながら練習を続けて1983年に南海に入団。そこでチャンスを掴むと、翌84年から外野のレギュラーとして打率3割以上を6度、2ケタ本塁打を8度マークし、オールスターやゴールデングラブ賞も受賞した。さらに物語は続き、1995年のオフに自由契約となると、39歳で古巣・近鉄に拾われる形で復帰。「ルーキーの気持ちで頑張る」と限界説を吹き飛ばして2年連続2ケタ本塁打を放って再復活を果たした。そして42歳となった1999年には、古巣・ダイエー戦での現役最後の打席に立って恩返しの決勝ホームランを放った。敵地ながら福岡ドームのファンから大声援を浴びる姿はとても印象的だった。

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投手で“恩返し”をした選手といえば?