その後もいろんなリングに上がって生きながらえてきた俺だけど、「さぁ、60歳か」というタイミングでプロレスラーを辞めなければならない時がくるのかなってこともよぎった。そんな時に、「自分で興行をやればいいじゃない」って気楽に考えようと思っていたら、娘(現・天龍プロジェクト代表)が手伝いをしてくれることになって、彼女が前面に出ていろいろやってくれた。晩年の俺が生きていく上での、意味を見出してくれたね。リングに上がりたいというよりも、リングという俺の居場所があるという安心感だよね。

 娘がいろいろやってくれるようになったらのん気、気ままにやろうと思っていた天龍プロジェクトは「半年に1回のペースの興行では天龍源一郎がいないみたいになってしまう!毎月やります」って、ガンガン働かせられたよ(笑)。俺が自分の居場所を持つことでまたかつての団体から出場オファーがきたり、懐かしい選手たちとも再開する機会が増えて、あちこちの団体と交流が出来た。「いつかは天龍源一郎と試合したい」っていう若いレスラーたちの励みにもなったかな?そんな思いで過ごしているうちに脊柱管狭窄症で手術入院、休養をすることになった。

 俺がいない間の興行でもファンは変わらずに応援してくれたよね。天龍源一郎なしで他のレスラーたちもよくヘルプしてくれたよ。天龍源一郎不在の天龍プロジェクトの為に身体を酷使してくれたレスラー達には感謝してるよ。

 レスラーって他の団体の試合に上がると“格”が落ちると思って嫌がる場合があるんだよね。“格”っていうのを気にするから、俺も天龍プロジェクトの初めのころに興行をやった時「このヤロー!こんなちっちゃな会場でやったら俺の名前が傷つくだろう!」って文句言ってたんだよ。そしたらある時、マスカラスがある会場で試合をやることになって「マスカラスをこんなところでやらせるのかよ!」って俺はブーブー言ってたのに、結局その会場で毎月試合をやるっていうね(笑)。また、別の話でマスカラスを呼んだある団体があって「なんだよ、マスカラス、こんなしょうもない団体の試合に上がっちゃって!」って言っていたのに、その2年後、俺がその団体の試合に上がるとは夢にも思わなかったねぇ~(笑)。本当に口は災いの元だよな。

 体のことでは、結婚した当初から食べ物には気を使っていたね。女房が作ってくれる唐揚げとか肉のメニューをバランス良く食べるようにしていた。女房はファイトマネーが少ないころからずっと算段してくれて、支えてくれているな。

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