これをきっかけに、56歳にして製菓学校の夜学に入学し、和菓子作りを学んでいる。入学前には「50代後半になって製菓学校なんて……」と悩みもしたし、夜学とはいえ、20~30代の若い世代とともに学ぶことにはためらいもあった。

 しかし、飛び込んでみると実に楽しく、思いがけない出会いもあった。周囲に和菓子作りを学んでいることを話すと、憧れていた和菓子研究家の先生のもとで、助手をさせていただくという幸運も飛び込んできたのだ。

 和菓子の世界は深い。それぞれの名称や意匠には日本の四季や、脈々と続く文化や習慣が織り込まれており、広大かつ深い文学への対象にもなる。作ることはもちろん、その文化的背景を学ぶことがこれほど楽しいとは思わなかった。

 今は、仕事も続けながら、「和菓子の仕事もできるようになったら……」というのが目標だ。

■この先をどう生きていくか、どう生きたいのか

 50代になってから、両親を見送っただけでなく、親しかった友人が突然死をした。そのせいか、今までは考えもしなかった「メメント・モリ」について思いをはせるようになった。

 例えば先日、日本を代表するコメディアンであった志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎でお亡くなりになったとき。お会いしたことはないが、同郷ということもあって勝手に親しみを感じていたし、子どものころからテレビを通じて、大いに笑わせていただいた。

「人の命には限りがあり、誰もがいつかは終わりを迎える。自分はいつなのか……」

 両親や近しい友人など、大切な人の死に直面することは、身を切られるほどの痛みを伴う。しかし同時に、「この先をどう生きていくか、どう生きたいのか」を考える大きなきっかけにもなると感じている。父母の介護を通じて、私が得た最も大きなことはまさにそれだった。

 自分の寿命はわからない。明日、突然死ぬかもしれない。人生の後半戦にいる50代だからこそ、やりたいことは、すぐに着手しなくては後悔が残りそうだ。自分をご機嫌にして「楽しく生きる」。そんな毎日が送れたら本望だと思っている。
(文/スローマリッジ取材班 内田いつ子)