■横浜:谷繁元信
(通算成績:1417試合 1002安打 打率.248 103本塁打 462打点)
落合政権下の中日黄金時代をけん引したイメージも残るが、球団38年ぶりの日本一となった98年当時のレギュラーであり、9シーズンにわたって正捕手を務めた谷繁を選んだ。ヤクルトの古田と同時期にしのぎを削ったこともあり、ベストナインとなったのは中日時代を含め、98年の一度のみだが、その能力は常に球界トップクラスと誰もが認めるものだった。横浜では01年にキャリアで初めて本塁打数を20本に乗せたのを含め、2ケタの本塁打は4度記録。打率も常にハイアベレージを記録していたわけではないが、勝負強さはピカイチだった。2001年には5割超えの盗塁阻止率をマークするなど肩も強く、リード面では相手打者に的を絞らせない配球が高く評価された。
横浜での出場試合数に限れば谷繁を上回る伊藤勲は、チームが長らく低迷する中で孤軍奮闘した。69年には23本塁打を放つなど長打力を兼ね備え、67年には5割を超えるリーグトップの盗塁阻止率を記録した強肩強打の捕手だった。谷繁以降は相川亮二が5シーズン正捕手を務めたが、その後はレギュラーの固定に苦しんでいる。98年以来のリーグ優勝、そして日本一を果たすためには、球団の新たな歴史を作るような正捕手の誕生が不可欠だろう。
■中日:木俣達彦
(通算成績:2142試合 1876安打 打率.277 285本塁打 872打点)
中日一筋で19年間プレーし、その内15シーズンでレギュラー捕手として活躍。69年にセ・リーグの捕手としては史上初となる30本塁打を放つなど、「マサカリ打法」と呼ばれる打撃でキャッチャーとしては歴代5位の安打数、同4位の本塁打数、同6位の打点を稼ぎ出した「打てる捕手」の代表格だった。強肩も売りでベストナインに5度輝き、74年には球団20年ぶり2度目となるリーグ優勝に貢献。日本一とは縁がなかったがレギュラー時代は15シーズンで8度のAクラス入りの原動力となった。
落合監督時代の黄金時代に正捕手を務めた谷繁も、素晴らしい活躍を見せたが、横浜の最強捕手として選出したためここでは除外した。他には、闘将・星野監督の下で頭角を現し、14シーズン正捕手を任された中村武志も球団の歴史に残る名キャッチャーだ。打撃では91年に20本塁打を放ったのを含め、中日在籍時に3度の2ケタ本塁打を記録。肩も非常に強く、盗塁阻止率で5割以上を2度マークし、正捕手時代に2度のリーグ優勝に貢献した。