はじめて山田線を訪れた際、宮古からの復路でこのバスに乗ったことがある。往路の列車は、2両編成の急行型気動車にほんの数人の姿しかなかったのに対し、バスは半分以上の座席が埋まっていた。もっとも、旅人としては閑散とした列車にこそ旅情を覚えたものだし、区界峠(くざかいとおげ)越えとなる上米内~区界間の秘境や区界から先に寄り添う閉伊川(へいがわ)の渓谷美の車窓には飽きることがなかった。
大志田駅は一度だけ訪れたことがある。花輪線取材の途上、盛岡で1泊した際に足を延ばしてみたのである。盛岡発19時13分の宮古行きに乗り、19時39分に大志田で下車、20時18分発の盛岡行きで折り返す。10月中旬のことで、着くころには周囲は真っ暗。緊張感からか、大志田駅が近づくとお腹が痛くなったのを思い出すが、列車が立ち去ったあとは、完全に孤立した状態になってしまったものだ。
だが、小さな待合室のある片面ホームの灯が頼もしい。待合室に列車3本きりの時刻表。気分が落ち着いたころ周囲を探検してみると、スイッチバック跡のレールや小屋があった。その傍らから谷に向かって延びる小道。盛岡で買い込んだ駅弁と缶ビールの晩餐を済ませたころ、宮古方から列車の灯が近づいてきた。いま思い出しても旅情に満ちたひとときだったと思う。
■房総にあった不思議なスイッチバック駅──旧・大網駅
JR東日本・外房線にスイッチバック駅があったのをご存知だろうか。
東金線と接続する大網駅は、千葉方面から来ると東金線が外房線ホームの手前で分岐し、双方のホームがハの字状に設けられているのが特徴となっている。現在の形になったのは、外房線が電化された1972年のことで、それ以前は直進する東金線に対し外房線(当時は房総東線)は大網駅でスイッチバックしていたのである。房総は私のホームグラウンドでもあるが、幼少のころ大網駅で「折り返す」のを子どもながらにひとつの儀式として注目していたものだ。
大網駅が開業したのは1896年。外房線の前身にあたる房総鉄道の暫定的な終着駅として設置されたのが最初であった。翌年には房総鉄道が一ノ宮(現・上総一宮)まで延伸、国有化ののちの1929年に安房鴨川まで路線を延ばしている。房総鉄道は一ノ宮延伸にやや遅れて1900年に大網~東金間を開業。この路線は1909年の国有化の際に東金線に改められたのちの1911年に成東まで全通している。不思議なのは、大網駅が安房鴨川方面ではなく成東方面を指向するように設けられたことで、本線が支線よりも不便を強いられることとなった。