この駅は1936年3月25日、指宿~山川間の延伸により開業。沖縄県営鉄道消滅後は「日本最南端の駅」の座に就いたが、先述の西大山駅開業で「日本最南端の有人駅」に落ち着いた。

 2003年のゆいレール開業後は「本土最南端の有人駅」、「JR最南端の有人駅」に変遷したものの、JR九州の鉄道事業経営健全化のため、2016年3月26日に無人駅となり、その座を隣の指宿駅に明け渡す格好となった。

 しかし、観光の目玉とするべく、指宿市が受諾管理する簡易委託駅として、わずか半年後の同年10月3日に奪還した。現在、窓口の営業時間は平日(12月29日から翌年1月3日までを除く)の16時00分から18時00分まで。

■本土最南端の始発・終着駅

 指宿枕崎線が枕崎に達したのは1963年10月31日。当時は南薩鉄道(後の鹿児島交通枕崎線)との接続駅で、現在地より100メートル先に駅舎を構えていた。

 鹿児島交通枕崎線が1985年3月17日をもって廃止されると、指宿枕崎線単独駅となるものの、駅舎は鹿児島交通の管理のままだった。その後、枕崎駅周辺の再開発が決まり、2006年5月1日に現在地へ移転。北緯31度16分19.64秒、東経130度17分58.14秒に位置する。これが契機となり、枕崎市が一体となって枕崎駅が発展する。

 2009年12月26日に本土の「最南端終着駅」、「最南端始発駅」のキャッチフレーズを付与、2011年5月に駅入口にアーチ型ゲートを設置し、2012年4月28日には枕崎市と日本最北端の駅を有する北海道稚内市が友好都市を締結した。

 2013年4月28日には“総仕上げ”として無人駅ながら駅舎を再建。「枕崎駅」の駅名看板は、枕崎市出身の立行司、第36代木村庄之助が揮毫(きごう)した。

■電停として日本最南端

 駅ではなく、電停(路面電車の停留所)として日本最南端にあるのが、鹿児島市交通局谷山線(路面電車)の終点、谷山電停である。指宿枕崎線谷山駅から徒歩約10分のところにある。

 鹿児島電気軌道時代の1912年12月1日に開業。北緯31度31分48.39秒、東経130度31分24.27秒に位置する。開業100周年を迎えた2012年7月1日に「日本最南端の電停」の記念碑が建った。

 ハイカラな“電停舎内”にホームがあり、庶民的な雰囲気が色濃く残る町並みにマッチしている。電停の手前には、電車が満線になった場合に備え、下車用のホームが設置されており、乗務員はフレキシブルに対応している。(文・岸田法眼)

岸田法眼(きしだ・ほうがん)/『Yahoo! セカンドライフ』(ヤフー刊)の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降、フリーのレイルウェイ・ライターとして、『鉄道まるわかり』シリーズ(天夢人刊)、『論座』(朝日新聞社刊)、『bizSPA! フレッシュ』(扶桑社刊)などに執筆。著書に『波瀾万丈の車両』(アルファベータブックス刊)。

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