■一方的に話し続ける授業を一人で眺めるのは、忍耐が必要
はっきり言って、一方的に淡々と話し続ける授業を部屋で一人眺めるというのは、予想以上に退屈で、全て見るためにはかなりの忍耐力が必要です。途中で飽きる子も出てくるでしょう。四谷大塚では模試が郵送で送られてくるそうですが、家ならカンニングし放題ですよね。問題を解くことで勉強にはなりますが、志望校の合否の確率を知る正確な資料にはなり得ないでしょう。
今まで、学校へ行くことは当然だったため、なかなか気づきにくかったのですが……計算してみると、学校で当たり前のように机に向かって勉強していた時間って、かなり長かったんですね。
一つの授業が50分、休憩が10分、それが6時間あったとすると、いつのまにか一日のうち合計で5時間勉強したことになります。そこに宿題や塾がプラスされるわけですから、実は毎日、相当な時間勉強していたことになります。もし休日に5時間勉強してみろと言われても、なかなか難しいでしょう。
学校のように「周りが勉強しているから自分も」という、集団心理によってきっかけを作らないと、勉強を始めにくい子もいます。哲学者のジョン・デューイが「人間は習慣の生き物である」と発言したように、朝から学校に行き9時に授業のチャイムが鳴るという習慣に従って、勉強をしていた子もいます。
生徒のタイプにもよりますが、そうした子どもたちが、何カ月も学校に行けず家で自習するためには、どうやっていくか、勉強に対するスタンドポイントを考えなくてはなりません。
学校が休校の間でも、勉強する子はきっちりしているでしょうし、遊んでいる子は遊んでいるだろうと思うので、今年はほかの年より生徒間の学力差がつきやすいのではないかと思います。
もし私が小学生だったら、絶対に夏休み気分で、家でゴロゴロしながらまんがを読んでいると思います。 受験生も、「受かりそうな大学でいい」と考えている生徒と比較して、「絶対にあの学校に受かりたい」という気持ちの生徒とはモチベーションも勉強量も異なってくるでしょう。
別の生徒と会うこともできず、周囲との勉強状況が比較しにくい今、同じ学年なのに一気に差が広がってしまう可能性も考えられます。