西武ライオンズの元エースで監督経験もある東尾修氏は、高校生のドラフト指名、プロ野球開幕について語る。
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夏の甲子園大会が中止となった。もちろん代表校を決めるための地方大会も中止に。日本高野連と主催の朝日新聞社がセンバツ中止以降、議論を重ねてきたと感じるからこそ、本当に苦渋の決断だったと思う。
高校球児にとって、真剣勝負の場となる公式戦は今年に入ってなくなったことになる。「野球だけが特別なのか?」とよく耳にするが、それはどんな分野でも、自分が真剣に取り組んでいることは特別なものでしょう。野球人にとってなら、当事者なら、野球は誰が何と言おうと特別だ。
1968年だから今から52年も前の話になる。私も箕島(和歌山)でセンバツに出場した。1回戦の相手は苫小牧東(北海道)。甲子園のスタンドには全校生徒が応援に来てくれた。4万人の大観衆に気持ちは高ぶった。その試合はホームランも打ったことを覚えている。2回戦の高知商戦は4回1死二塁からセンターへ先制タイムリー。4強を懸けて戦った広陵(広島)戦では初めて4番に座った。ベスト4。大宮工(埼玉)との準決勝には敗れたが、15打数7安打で5打点、1本塁打と打撃面で貢献できた。そんな思い出を語れるのも、甲子園の大会があったからだ。
高校球児にかけられる言葉は正直に言って、見つからない。どんなレベルの選手であれ、野球と真剣に向き合った時間が長ければ長いほど、気持ちの整理なんてつかないと想像するからだ。長い人生、チャレンジの連続であることは間違いない。しかし、高校生の「今」は、試合でいいプレーをすることであり、その先に大きな目標として「甲子園」がある。その目標が、目の前からなくなった現実を整理するには、時間が必要になると思う。
西武の松坂大輔が球団を通じて発表した「選手の心に寄り添い、アイデアを出し、実行することは大人に出来ます。『出来ない』ことを決めるだけではなく、『出来ることは何か…』を考える」とした言葉に賛同する。ここまでは新型コロナウイルスの感染拡大の影響で「延期」や「中止」となっても、仕方がない、不運だったと高校球児も自らを納得させてきたと思う。だが、緊急事態宣言が解け、学校や部活動が再開した時に「もう試合は組めない……」では、選手としては高校3年間を完結できない。各都道府県の高野連による独自の地方大会も開催できるかは、不透明な県も多いだろう。その時には近場の学校で対抗戦を行うとか、交流試合をしっかりやって送り出してほしい。他の競技も同様に、指導者がしっかりと考えてもらいたい。