■経路は違うのに運転区間は一緒。乗り間違いが心配?
この九州の2列車は以前にアップした「循環列車」に近い存在といえそうだが、あえて脇道を選んだような列車も多い。岡山~広島間で運転されていた準急「たいしゃく」(のちに急行)もそのひとつで、伯備線と芸備線を経由し中国山地を縦断するルートを走っていた。1972年に新見~広島間に縮小されたのち僚友の「みよし」に統合され、2007年まで同線の主力として活躍していた。
当時の「たいしゃく」は岡山~新見間で「しんじ」との併結運転となっていたが、宇野~博多間を結ぶ「しんじ」もまたスケールの大きい遠回り列車であった。宇野~博多間という運転区間も現代の感覚では破天荒といえそうだが、素直に山陽本線を辿らずに伯備線と山陰本線を経由、さらに石見益田(現・益田)~下関間で山口・山陽本線経由と山陰本線経由に分かれたのちに再度併結するという複雑な芸当を見せていたのである。
北日本では、石北本線と名寄本線(1989年廃止)がらみでユニークな列車を認めることができた。急行「紋別」は札幌と遠軽とを結んでいたが、列車名にあるとおり名寄本線の紋別を経由していた。1972年3月ダイヤでは、下りが札幌発17時00分~遠軽着23時46分、上りが遠軽発5時33分~札幌着11時57分。
「紋別」は札幌~旭川間で急行「大雪」と併結していたが、ややこしいのは「大雪」も札幌~遠軽間の運転だったことだ。こちらは下り(5号)の遠軽着が21時13分、上り(1号)の遠軽発は7時45分。上りに関しては間違えようがないと思うが、下り列車での乗り間違いはなかったのだろうかという気もする。もっとも、もしいまも走っていれば、「紋別」と「大雪」双方に乗ってみたいものだが……。
これらの列車の大半は、複数の区間をひとつのスジでカバーしたと考えられ、ここでも例を挙げたように、のちに別列車に分割された列車も多い。しかし、ひょっとするとあえてこうした列車に乗った人だっているハズで、古い「時刻表」を開きながら、往時だからこそできた鉄道の旅に思いを馳せるのみである。(文・植村誠)
植村誠(うえむら・まこと)/国内外を問わず、鉄道をはじめのりものを楽しむ旅をテーマに取材・執筆中。近年は東南アジアを重点的に散策している。主な著書に『ワンテーマ指さし会話韓国×鉄道』(情報センター出版局)、『ボートで東京湾を遊びつくす!』(情報センター出版局・共著)、『絶対この季節に乗りたい鉄道の旅』(東京書籍・共著)など