原宿や高田馬場など、いまでは主要駅となっている各駅も、高輪ゲートウェイ同様、既存区間に増設された“新駅”だった。
■地下鉄接続のため造られた“最後から2番目”の新駅
新駅が設置されるおもな理由として、新路線の開業に伴うものはもちろん、沿線人口の増加が挙げられる。これらによる山手線の駅開業は大正期でいったん落ち着いたが、71(昭和46)年、御徒町駅開業以来“46年ぶりの新駅”として、29番目となる西日暮里が田端~日暮里間に開業した。
西日暮里駅の設置地点は、69(昭和44)年に北千住~大手町間が開業した営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線との交差部にあたり、接続駅として地下鉄西日暮里駅より1年4カ月遅れての開業だった。
鉄道事業者は多額の費用がかかり、列車のスピードダウンを招く新駅の設置を嫌う傾向があるとされる。そのため、現在では新駅が設置される場合、地元自治体などによる応分の費用負担が条件とされることが多い。
西日暮里駅の場合も、国鉄(当時)は山手線に接続用の新駅を設置せず、千代田線は直接既存の日暮里駅に乗り入れる。または地下鉄西日暮里駅と日暮里駅との間に地下通路を設けるとの案も検討されたという。
結局、営団側は民有地の地下を通る区間が増える日暮里駅経由のルートを断念し、都道の道灌山(どうかんやま)通り直下を通る現在のルートを選択。国鉄も常磐線緩行線(各駅停車)との相互直通乗り入れが予定されていた千代田線乗客の利便性などを考慮し、西日暮里駅の新設に踏み切った。
これが“山手線最後から2番目の新駅”の設置理由だった。そのため、田端~西日暮里間は0.8キロ、西日暮里~日暮里間はわずか0.5キロと、山手線区間では最も短い駅間距離となっている。
■新駅と周辺再開発の効果は約1兆4000億円
一方、“最後の新駅”高輪ゲートウェイの建設理由は、広い意味では「沿線人口の増加」にあたる。
山手線を一周してみればわかるが、沿線の左右にはびっしりとビルが建ち並び、武蔵野台地東端部の複雑な地形を縫って走るため、目黒駅付近や巣鴨~田端間などは切り通し、渋谷駅は谷底。田端~上野間も西側には本郷・上野台地の崖線(がいせん)が迫る。もちろんそれぞれの区間の上部にも、市街地がいっぱいに広がっている。