2020年3月14日、開業を迎えた高輪ゲートウェイ駅(C)朝日新聞社
2020年3月14日、開業を迎えた高輪ゲートウェイ駅(C)朝日新聞社
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2012年のJR東日本の田町車両センター(当時)の空撮写真。この広大な土地が、高輪ゲートウェイ駅を中心とした「グローバルゲートウェイ品川」として開発されている(C)朝日新聞社
2012年のJR東日本の田町車両センター(当時)の空撮写真。この広大な土地が、高輪ゲートウェイ駅を中心とした「グローバルゲートウェイ品川」として開発されている(C)朝日新聞社

1959年の国鉄田町電車区。東京駅を往来する東海道本線などの車両基地として、多くの電車が並んだ。写真の車両は右から82系(のち155系)電車修学旅行専用「ひので」、20系(のち151系)電車特急「こだま」、湘南色の80系電車、横須賀線色の70系電車(C)朝日新聞社
1959年の国鉄田町電車区。東京駅を往来する東海道本線などの車両基地として、多くの電車が並んだ。写真の車両は右から82系(のち155系)電車修学旅行専用「ひので」、20系(のち151系)電車特急「こだま」、湘南色の80系電車、横須賀線色の70系電車(C)朝日新聞社

 JR山手線30番目、西日暮里駅開業以来49年ぶりの新駅として、2020年3月14日に暫定開業した高輪ゲートウェイ駅。コロナウイルスの影響で、“新駅フィーバー”も開業直後だけ。開業してすぐに行われる予定だった駅前イベントが4カ月遅れの7月14日から規模を縮小して始まった。隈研吾(くま・けんご)氏デザインによる特徴的な外観をもつ高輪ゲートウェイ駅、計画時から山手線最後となる新駅とされる。その理由を山手線の歴史とともにひも解いてみたい。

【写真】高輪ゲートウェイ駅周辺を空から見ると?

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■既存区間への増設“新駅”だった池袋

 いまのところ山手線34.5キロメートル区間に、今後新たな駅が設置される構想・計画が定められていないことから、高輪ゲートウェイは“山手線最後の新駅”とも称されている。

 現在の山手線電車が運行されている区間は、正式には東京~品川間が東海道本線、田端~東京間が東北本線に属しており、厳密な意味での「山手線」区間は品川~渋谷~新宿~池袋~田端間になる。

 いまの山手線でいちばん最初に開業した駅は品川で、1872(明治5)年の新橋(のち汐留<しおどめ>、廃止)~横浜(のち桜木町)間に、日本で初めての鉄道が開業したときになる。1883(明治16)年には日本鉄道(現・東北本線)の起点駅として上野が開業。ただしこの時点で、上野~王子間に駅は設けられていなかった。

 1885(明治18)年にはやはり日本鉄道が品川線の名称で、現在の山手線の西側と赤羽線(埼京線)にあたる品川~赤羽間を開通させた。このとき開業したいまの山手線にあたる区間の途中駅は、目黒、渋谷、新宿、目白のみ。現在ではJR東日本・西武鉄道・東武鉄道・東京メトロ4社が乗り入れる一大ターミナル・池袋さえ存在しなかった。

 以降、いまの山手線の駅開業の歴史をたどると、1890(明治23)年に秋葉原、1896(明治29)年に田端、1901(明治34)年に大崎、恵比寿、1903(明治36)年に池袋、大塚、巣鴨、1905(明治38)年に日暮里、翌1906年に原宿、1909(明治42)年に代々木(中央本線の列車は1906年から停車)、新橋(開業時は烏森)、田町、浜松町、翌1910年に有楽町、高田馬場、駒込、1914(大正3)年に新大久保、東京、1919(大正8)年に神田、1925(大正14)年に御徒町と続いた。

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山手線区間では最も短い駅間距離にできた西日暮里の誕生秘話