朝日杯将棋オープン戦準決勝で対局する=2018年2月
朝日杯将棋オープン戦準決勝で対局する=2018年2月

 両者が公式戦で初めて当たったのは18年、朝日杯準決勝という大きな舞台だった。藤井は佐藤天彦名人、羽生竜王、広瀬章人八段らを連破し、史上最年少15歳で全棋士参加棋戦優勝をはたした。

 羽生は1996年、25歳のとき、当時存在する七つのタイトルすべてを制覇。史上初の七冠を達成した。羽生は以後も長きにわたって複数のタイトルを保持し続け、第一人者として長く将棋界に君臨した。

 近年、新世代が台頭する中、さすがの羽生も少しずつタイトルの数を減らしていく。18年、叡王戦がタイトル戦に昇格し、八大タイトル制となった将棋界は、八つのタイトルを8人が分け合う「戦国時代」に入ったかに見えた。

 羽生はタイトル通算100期目をかけた竜王戦で広瀬八段に敗退。27年ぶりに無冠に転落した。

 20年2月。羽生と藤井は王位戦リーグ開幕戦で対戦し、藤井が勝った。羽生は藤井以外には負けなかったものの、藤井は誰にも負けずにリーグを制する。藤井はこの年、棋聖戦を制して、史上最年少17歳でタイトル獲得。さらには王位も獲得し、羽生の記録を抜いて史上最年少二冠となった。

 羽生と入れ替わるように、藤井は将棋界の王者への道を歩んでいく。「戦国時代」はごく短く、渡辺(現名人)、豊島将之(現九段)、永瀬拓矢(現王座)、そして藤井の4人が「四強」と呼ばれる時代に入った。

 20年9月。両者は王将リーグ開幕戦で対戦。結果は後手番を持った羽生が会心の勝利を収めた。藤井はこの年、難関の王将リーグで挑戦権を得るどころか、逆に陥落に追い込まれた。

 翌21年。藤井はすぐに王将リーグに復帰。今度は羽生を破って挑戦権獲得に至った。渡辺王将に挑戦した藤井は4連勝で王将位を獲得。やはり羽生の記録を更新して、史上最年少の五冠となっている。藤井は渡辺、豊島、永瀬らも引き離し、以後は名実ともに「藤井一強」の時代に入ったと言ってもよさそうだ。

 今年度、藤井と羽生は棋王戦・敗者復活戦で対戦。藤井が勝って、最終的には棋王挑戦権獲得に至った。

 藤井は王将戦と並行して、棋王戦五番勝負も戦う。渡辺棋王をくだせば、史上2人目にして最年少の六冠となる。書くまでもないことだが、過去に史上唯一の六冠を達成した棋士といえば、羽生のほかにいない。

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