48手目。羽生は三段目に金を上がる。わるくなさそうな手だ。ただしここでAIは、代わりに自陣に角を打つ手を示していた。局後、それを指摘された羽生はまた驚いた。
「えっ、こっちから打つんですか? ええ……。すみません、一秒も考えてないです」
羽生は笑顔を浮かべながら、素直にそう口にして、感心してみせる。
羽生がタイトル戦に登場する以前には、勝負を争う人間同士のドラマが盤外でよく見られた。感想戦では、両対局者が互いに意地を張り合い、まったく本音を語らない場面もあったという。
羽生はそうした点におよそ無頓着だ。
「ひえー」
「ひょえー」
ときにそう口にしながら、先ほどまで大きな勝負を戦っていたのを忘れたかのように、羽生は盤上での検討を追求し、楽しんでいる。そこに羽生の強さの一端が表れているのかもしれない。
過去の実績の上では羽生は「史上最強」といってもよい存在だ。
一方、王者の系譜を継ぎ、羽生をも上回るペースで勝ち続ける藤井は「史上最強候補」だろう。
改めて近年の将棋界の状況を振り返りながら、両者の過去の対戦をたどってみよう。
■史上最年少棋士と史上初七冠
2016年10月。中2の藤井は14歳2カ月で四段に昇段。史上最年少で棋士の資格を得た。藤井以前、中学生のうちにプロ入りを決めたのは加藤一二三九段(元名人)、谷川浩司十七世名人、羽生、渡辺明名人のわずか4人。年若くして才能を表した大天才が、歴史に名を刻む大棋士へと成長していく。それがいつの時代も変わらぬ、将棋界の基本的なストーリーだ。
17年。デビューしたばかりで14歳四段だった藤井は、三冠をあわせもつ王者の羽生と、非公式戦で2回対戦する機会を得た。早指しの「獅子王戦」では羽生、持ち時間2時間の「炎の七番勝負」では藤井が勝った。
17年度。藤井はデビュー以来無敗で史上最高の29連勝を達成。いまもって信じられないような、奇跡的な大記録を達成した。一方で羽生は竜王復位をはたし99期目のタイトルを獲得。七つのタイトル戦で永世資格を得る「永世七冠」を達成。国民栄誉賞も受賞した。