「頭に当てた瞬間のことはまったく覚えていない。その後も試合中は勝つことしか考えていなかった。だから僕自身はあまり気にしていなかったのですが……」

 当日はあくまでシーズン中の1試合としてゲームセットまで戦い、中日も勝利を収めた。しかし周囲の多くのことが絡み合って、昭和から平成、そして令和の時代まで語り継がれる名シーンとなってしまう。

「先発の星野さんを含め、チームに悪い、とは思った。だけど試合中に気になったのは、ビジョンで何度もリプレーが流されたことくらい。それが時間が経つにつれて、驚くほど話が大きくなっていった。周囲からすればいろいろ重なって、ネタとしては最高だったんでしょうね」

 巨人は前試合まで158試合連続得点を継続中。先発・星野仙一が記録阻止へ気合十分でマウンドに上がっていた中、衝撃のエラーでの失点。そして後楽園に同年設置されたオーロラビジョンではリプレー映像が繰り返され、来場者の記憶に鮮烈に残った。極めつけは、プロ野球の新しい楽しみ方を作り出した珍プレー番組へ絶好のネタ提供。『宇野ヘディング事件』が注目される要素は十分だった、と本人も分析しながら苦笑いする。

「内野手ならカルロス・ポンセ(元大洋)、外野手なら山本浩二さん(元広島)、長崎慶一さん(元阪神他)もヘディングしていた。僕ばかりではないんですがね」

 多くの名選手を生み出した千葉の名門・銚子商出身。1学年上に篠塚和典(元巨人)、2学年上に土屋正勝(元中日、ロッテ)がおり、エース・土屋、4番打者・篠塚で74年夏の甲子園では全国制覇を果たしている。宇野の代では76年夏の甲子園で準々決勝進出。同年オフのドラフト3位で中日入団し、名古屋へと巣立つことになる。

「同郷の長嶋茂雄さんの影響もあり、プロ野球選手というのは子供の頃の夢だった。中日入団が決まり名古屋へ行った時は、大都会だなと思った。育ったのが千葉の田舎だったからね。でも2学年先輩の土屋さんが最初から面倒をみてくれた。また年は離れていたけど、星野さんもよく気にかけてくれ、遠征などでもよく食事に連れて行ってくれた。やりやすい環境で野球に集中できたのが良かった」

 引退直前の2年間はロッテ移籍で千葉へ戻ったが、現役18年中16年間を過ごした名古屋は、第2の故郷と語る。

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