いざ開業すると、ほとんどのメディアが一斉に「長野新幹線」と報じ、その名が定着するのに時間を要しなかった。結局、JR東日本は報道に従うかの如く、1998年6月から案内名称を「長野新幹線」に統一した。その後、長野~金沢の延伸が決まると文字通り北陸に直通することになり、「北陸新幹線」というフレーズが再び陽の目を見ることになったのである。
■自然消滅した「りんかんサンライン」
南海電気鉄道は1994年12月14日の社長会見で、高野(こうや)線の“田舎くさいイメージ”を変えるため、なんば~橋本の路線名を変える動きに出た。高野線は汐見橋~極楽橋を結ぶ路線ながら、実際は岸里玉出(きしのさとたまで)で線路が分断された状態で、ターミナルのなんばと岸里玉出との間は南海本線を走行し、高野線の岸里玉出~橋本・極楽橋とは運行上、一体である。
結局、なんば~橋本の路線愛称で落ち着き、社内で公募したところ、首都圏で実在する田園都市線や山手線も候補に挙がったが、「澄んだ空気と豊かな自然が調和したイメージ」が決め手となり、社内外で構成した線名愛称選考委員会が「りんかんサンライン」に決定。1995年9月1日のダイヤ改正より使用されることになった。
また、事前に寺の関係者に理解を求めたところ、高野山真言宗総本山、金剛峯寺などから高野線という路線名の全区間存続の要望が出された。それをくみ、路線名+路線愛称を組み合わせた「高野線りんかんサンライン」とも案内されていたが、定着には至らず、いつの間にか消滅した。
なお、高野線汐見橋~岸里玉出は、「汐見橋線」の通称が定着しており、同じ路線で明暗が分かれるかたちとなった。
■路線愛称を変えたところも
路線愛称は国土交通省に届け出す必要がないことから、変更も容易にできる。その例を2つ紹介しよう。
埼玉高速鉄道は2001年3月28日の開業から1周年を迎えるのにあたり、路線愛称を公募。2002年3月30日、3,990件の中から「彩の国スタジアム線」に決定した。「彩の国」は埼玉県の愛称、「スタジアム」は浦和美園駅を最寄りとする埼玉スタジアム2002(サッカー場)にちなむ。