鉄道の路線名には、埼京線やJR京都線などのように、国土交通省に届け出されている正式名称ではない愛称が定着している路線が多数ある。一方で、残念ながら定着しなかった路線愛称も……。今回は、ちょっと懐かしい!? 路線愛称の数々を紹介しよう。
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■満場一致で決まった「E電」だが……
1987年4月1日、国鉄が分割民営化されると、首都圏の16線区、関西圏の7線区で総称された「国電」の名がそぐわなくなった。そこでJR東日本は国電に代わる名称を公募することになった。
応募総数は59,642通で、上位から民電、首都電、東鉄、日電、民鉄の順に続く。このほか、東電、都電、関電、快電、楽電も寄せられたという。
上位50位の中から第2位の首都電、第9位のJR電、第20位のE電に絞り込み、選定することになった。選考委員に作曲家の小林亜星氏、写真家の沼田早苗氏をまじえ協議したところ、満場一致で「E電」に決まった。
Eは社名のEast、ポジティブなEnjoy、Everyday、Energyの頭文字ということも決め手となったようだが、ふたを開ければ「日本語を乱す」など、まさかの大不評。結局、E電は1994年12月3日のダイヤ改正を機に表舞台から姿を消した。
ただし、「E電」自体は完全な死語になっておらず、同社のプレスリリースで使われている。
■北陸地方の自治体対策で登場した「長野行新幹線」
1997年10月1日に北陸新幹線高崎~長野間の開業が迫るなか、同区間を運行することになったJR東日本は、長野から先の建設が不透明であること、乗客の誤乗を防ぐため、路線名「北陸新幹線」を使わず、「長野新幹線」という名称で案内しようとした。
これに北陸地方の自治体が「長野で止まってしまう印象だ」と待ったをかけた。JR東日本は再考を余儀なくされ、下りは「長野行新幹線」(「行」は小さく表示)、上りは単に「新幹線」と案内するという苦肉の策をひねり出した。ところが、車内や駅の放送案内は「長野新幹線」に統一するという、非常にわかりにくい展開となった。