わたしは運よくミステリー大賞を受賞した。未明まで飲んでホテルに帰り、眠るまもなく部屋の電話が鳴った。ロビーに降りると編集者がいた。
四谷大京町の色川家──。はじめてお会いする色川さん夫妻はとても気さくで、若輩のわたしを歓待してくれた。色川さんのパジャマからはみだしている下着の袖がよれよれで、それがずいぶん魅力的だった。
このとき、持参した色紙に書いてもらったのが、『花のさかりは~』だ。筆ペンでさらさらと書いた字は達筆で味がある。
その後、色川さんは大京町から成城へ引っ越し、わたしは東京へ行くたび、お宅にお邪魔するようになった。深夜、ふたりだけでいるときはこれといった話もせず、カーペットにぺたりと座り込んでサイコロを振る。色川さんはわたしがルールをお教えした“シックスダイス”というゲームが好きで、これを延々と朝までする。だいたい××円ほどの勝ち負けになったとき、色川さんは決まってレートを倍にしようといい、わたしは、ツキが変わります、とあっさり断る。
「そう、しかたないな」色川さんはにやりとして記録を書いた原稿用紙を破り、意気も新たに座り直す。
いま思えば、あの雀聖・阿佐田哲也をわたしがひとり占めしていたのだから、贅沢(ぜいたく)な至福の時間だった。
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2020年7月31日号