50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは?今回は「ファッション」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
【写真】天龍さん本人は「地味かな?」というド派手シャツはこちら
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現役時代は俺の派手な服装がファンの間で“天龍ファッション”と呼ばれていたらしいね(笑)。そもそも俺が洋服を着るようになったのは相撲からプロレスに転向してからだ。中学生で相撲の世界に入ったもんだから、それまでは着るものと言えば学生服か浴衣か着物くらいで、その癖で羽織も着物も紺色でそろえるという風に「上下とも色を合わせる」のがファッションの基本だと思っていたんだ。
だから洋服もトータルで合わせるのが当然だろうと思って、チェックの柄物のシャツに茶色のチェックのズボンを合わせて着ていたりしていた。そんな格好をして半年くらいたった頃かなぁ、ある日、キム・ドク(タイガー戸口)から「源ちゃん、そのセンスはないだろう!」とストレートに言われたんだよ。でもそのときはまだよく分かってなくて「何が変なんですか? ちゃんとトータルでコーディネートしてるじゃないですか」って言ったら、「柄が忙しくて目が疲れるんだよ!」って(笑)。
半年間、ほかのレスラーも同じことを思っていて、なかなか言えなかったんだな、きっと……。それから服装には気をつけるようになった。でもね、もともと茶色のチェックのズボンは、全日本プロレスに入ったときに馬場さんが仕立屋で作ってくれたもので、「天龍、茶色を着こなせるとオシャレだぞ」と教えてくれたからなんだ。さすがに、茶色のチェックに柄のシャツはよくなかったようだね……。
その後、俺はアメリカへ修業に行くんだけど、行った先がテキサス州のアマリロで、ドリー(・ファンク・Jr)やテリー(・ファンク)といった現地のレスラーはみんなウエスタンスタイルだから俺もすっかりウエスタンスタイルが気に入ってしまった。テリーたちが皮のベルトに自分の名前を彫っているのがカッコよくてね、マネして「TENRYU」と彫ってもらって、拳くらいのでっかいバックルをつけて、ウエスタンシャツにウエスタンブーツという完全なカウボーイスタイルにしていたよ。その時アメリカで一緒だったジャンボ(鶴田)も気に入って「JUMBO」と彫って同じような格好をしてたね。これがアメリカのスタイルだと思っていたんだが……。