その後も長嶋巨人は、西武・清原和博&マルティネス、近鉄・石井浩郎、広島・江藤智と他球団の4番をかき集める。松井が初めて30本塁打超え(38本)を達成した96年にリーグ優勝。江藤、マルティネスが加入した00年にも“ミレニアム打線”で日本一を達成したが、94~01年の8年間で優勝3回では、効率はあまり良くない。

 さらに堀内恒夫監督時代の04年にもローズ、小久保裕紀、ペタジーニ、高橋由伸、阿部慎之助らの“史上最強打線”でシーズン259本塁打の日本記録を樹立したが、その一方で盗塁数がプロ野球史上最少の25にとどまるなど、チームとしてのバランスを欠き、優勝した中日に8ゲーム差の3位。翌05年も球団史上初の80敗を喫して5位に沈んだ。一発狙いの野球に特化した結果、足の遅い元木大介が代走起用される珍采配が話題になったのもこの年。改めて4番打者を集めただけでは勝てないということを証明した。

 打線が爆発しても、投壊や拙守などで試合を落とすことが多かったのも、超重量打線時代の特徴だった。

 99年の巨人は、4月9日の横浜戦(横浜)、同28日のヤクルト戦(大阪ドーム)と8点リードを1シーズンに2度もひっくり返されるというプロ野球史上初の屈辱を味わい、「ちょっとお恥ずかしい限りだな」と長嶋監督をボヤかせている。

 翌00年8月10日の横浜戦(東京ドーム)では、初回に松井の2ラン、2回に高橋由の2ラン、5、7回に仁志のソロ2本と江藤のソロ、8回に高橋由の2ラン、9回に江藤の2ランと計7本塁打が飛び出したにもかかわらず、11対12で敗れた。7本塁打を記録しながら負けたのは史上3例目、球団では初の珍事だったが、長嶋監督は首位独走の余裕からか、「初めてじゃないか。これだけ打ったのは。6回までワンサイドをこれだけ追いついたんだし、お客さんも満足だろう」とご機嫌だった。

 投打がかみ合わないといえば、01年9月27日の広島戦(東京ドーム)も記憶に残る試合だ。

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球史に残る「馬鹿試合」も