女性の医療スタッフは、防護設備が乏しく、勤務時間は長く家に帰れず、仕方なく自ら美しい黒髪を短く切った(インターネットから)
女性の医療スタッフは、防護設備が乏しく、勤務時間は長く家に帰れず、仕方なく自ら美しい黒髪を短く切った(インターネットから)
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「船倉病院」――武漢では病床が不足し、多くの大型体育館内にベッドを並べ臨時の「船倉病院」とした(インターネットから)
「船倉病院」――武漢では病床が不足し、多くの大型体育館内にベッドを並べ臨時の「船倉病院」とした(インターネットから)

 新型コロナウイルスによる肺炎が流行した武漢で、作家の方方氏が発表し続けた日記が世界の注目を集めた。温和で、中国共産党の権威に挑むものではまったくなかったが、流行を食い止められなかったことについて責任を追及する考えを示しただけで、中国国内で2カ月にわたり数千万のネットユーザーの袋叩きに遭い、脅迫を受けた。この「私はウイルス――武漢ロックダウン日記」は、方方氏と同じく武漢で暮らす一般市民の男性「阿坡(A.PO)」が、中国共産党を批判する反省の書として記したものだ。「一人の健全な精神を持つ中国人」として、世界に向けてお詫びの気持ちを示したいという。阿坡は、中国という国が、新型コロナウイルスによる肺炎の治療薬の登場さえも、情報操作に利用したと憤る。

【写真】病床が不足し、多くの大型体育館内にベッドを並べ臨時でこしらえた「船倉病院」はこちら

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■2020年2月13日 地元トップの更迭人事とレムデシビル(9)

「武漢市2020年2月12日0時~24時の新増病例は1万3436、累計病例は3万2994」。ロックダウン22日間後、新たな病例がこのように爆増した。新型コロナウイルスの流行は完全に制御を失ったという結論を導かせる数字に、当然ながら友人たちは私の安否をひどく心配したのだった。

 武漢にあってここ数日、ウイルスの流行をずっと観察・分析してきた私は、この新増数を見ても奇怪だとは思わなかった。

 私は友人たちに次のような解釈を示した。この新増数はこれまで政府がごまかし隠してきた患者数だ。もし実際の数を急いで発表しなければ、滞った実数はどんどん大きくなる。政府が最終的には武漢のウイルス感染者の総数をごまかせないとすれば、今後は毎日驚くべき新増数になるだろう。

 そうなってほしくはないが、武漢市の感染者数は10万に達すると推測される。それが真の数字なら、現在の3万余の基礎の上にこれから1週間、毎日新たに数千から万に上る新増が見込まれる。

■慚愧の念を抱く

 私が言いたいのは、封鎖22日目にして武漢はほとんど死の都市になっているということだ。ほとんど誰一人動き回ることも集うこともない。新たな感染が生じる可能性はすでに最低レベルに達している。このいわゆる新増の数字は、都市封鎖以前の感染が累積して出てきたものだ。

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