コロナに翻弄される東京にカメラを向け、2020年7月に写真集『東京、コロナ禍。』をまとめた写真家・初沢亜利(はつざわ・あり)さん。AERA 2020年9月7日号では、初沢さんと小説家・平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さんがコロナ禍の東京の風景について対談した。
【フォトギャラリー】東京のコロナを記憶する――初沢さんの撮影した歴史的瞬間を写真で紹介
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初沢亜利(以下、初沢):平野さんとは2001年ごろ、作家の島田雅彦さんを介して、初めてお会いしたんですよね。
平野啓一郎(以下、平野):知り合ってからは雑誌で一緒に仕事をしたこともあるし、初沢さんの仕事はずっと見てきました。早速ですが、今回、コロナ禍の東京を撮り始めた理由は?
初沢:実は偶然なんです。自分の拠点である東京を、いつか撮り直さなくてはいけないと思っていたのですが、きっかけがなかった。けれど今年はオリンピックイヤーで、メディアがどう社会を煽(あお)り、人びとがどう浮かれていくのかを、1年以上かけて撮るつもりでした。ウォーミングアップに、年明けから撮影を始めたら、たまたまコロナウイルスの流行と重なった。
平野:『東京、コロナ禍。』には、ダイヤモンド・プリンセス号も載っています。2月当時はまだ国内全体に楽観論があり、自分たちが何カ月も家にいることになるとはほとんどの人が思いもしなかった頃です。
初沢:広い意味での東京として、唯一、横浜の写真です。クルーズ船から最初の乗客が下りてくる日で、世界中のメディアが集まっているのが異様に思えてカメラを向けました。私の写真にはやたらとメディアの人たちが登場します。メディアも一つの景色ですから。
平野:東日本大震災では、撮るべきものがはっきりしていました。津波の跡や、東京電力福島第一原発事故についても、現場があったし、避難だとか、見えない放射能を示す撮り方もあった。けれどコロナの場合、何を撮るのかが難しい。初沢さんはイラクや北朝鮮の写真でも、日常とは違った気配を撮ることを仕事にしてきたから、コロナに見舞われた街の雰囲気をうまく撮れたのかな。