この考えが、日本で見られ始めたのが04年の新潟中越地震。小中学校に避難した人々のために大量の弁当が必要だったが、被災地の外から購入するのではなく、被災した商店街が製造を請け負った。食材も少なく、そして調理や保管のインフラも乏しかったが、地域のために知恵を絞ることが大人たちのやりがいに繋がった。それを見た子どもにも影響があり、ある商店主は「せがれが跡を継ぎたいと言った」と喜んだ。
11年の東日本大震災のときは、「生業(なりわい)」という形でCFWの考えが浸透しはじめた。漁師の妻たちは、手先の器用さを生かし、漁網を素材とした「ミサンガ」を作って全国に売った。ある地域では、仮設住宅の住民の見守り(支援連絡員事業)も、被災した入居者が自ら請け負った。
「カウンセリングの専門知識はないが、同じ被災者が行うことで、支援の質が上がる。結果として、災害によって排除される人をつくるのではなく、むしろ連帯をつくる。これが必要なんだと思いました」
このCFWの仕組みを若者の就労支援に生かしたひとりが、一般社団法人リープ共創基金の加藤徹生さんだ。仕事を通じて報酬を得ながら、社会と繋がる。新型コロナによる若者の不遇と「キャッシュフォーワーク」は相性がいいと思っていたが、実はこの仕組みには財源が必要だ。そこに休眠預金が新型コロナ対策に使われると知り、実現のスキームを考えた。休眠預金をリープ共創基金が預かり、選ばれた実行団体が仕事を取りまとめ、若者とマッチングをする。
加藤さんは、途上国支援を経て、東日本大震災で数々の起業家支援を行った。天災の多い日本では、今後も同じような災害が起きる可能性があり「一度倒れても、立ち上がるレジリエントな社会づくり」が必要だと考えていた。そこで着目したのがCFWだ。今回、新型コロナの影響で多くの若者が就労の場を奪われたが、今回の取り組みで「得意のIT知識を生かして販路を失った花屋さんのECサイトを作る」など、次のステップを見いだす機会になれば、と考える。
「生活に必要なお金を渡すのではなく、お金に汗をかかせる。それによって若者たちは次のステップを見いだせるのだと思っています」
CFWで提供される仕事は、あくまで一時的なものだ。永松さんも「仮設住宅ならぬ仮設雇用」と表現するが、これによって生まれた社会との接点が、立ち上がる大きな力になるのだ。(文・カスタム出版部)