「大リーグ挑戦」宣言から一転、日本ハムファイターズ入りを決断した花巻東の大谷翔平投手。球団は、160キロの豪速球はじめ非凡な野球センスを評価し、投手と野手の「二刀流」育成計画を打ち出した。二刀流で名を馳せた野球解説者の関根潤三氏(85)に話を聞いた。
* * *
まさに「VIP待遇」だ。
日本ハムは大谷に、昨季までの不動のエース・ダルビッシュ有(現レンジャース)がつけていた背番号「11」を用意した。なにしろ入団交渉のなかで、投手と野手という「二刀流」の育成計画を提示した特別な選手だ。最近めったに聞かない驚くべき構想である。
実は、「二刀流」に挑むのは大谷が初めてではない。日本のプロ野球史をたどると、成功した例はある。
近鉄パールス(当時)などで活躍した野球解説者の関根氏は、投手と野手の双方で、オールスターに出場した。関根氏は1950年に投手として近鉄に入団し、投げない日には代打で登場したのだ。
「当時のチームが弱かったせいもあるけど。ランナーがいないのに、敬遠をされたこともある。30歳で迎えた57年のシーズン途中には、主軸バッターとして、野手に転向しました。今度は打者として打率3割を打ちたいと思っていたんだ。打撃はセンスさえあればできますよ」(関根氏)
関根氏は、投手として通算50勝、打者として通算1千本安打という活躍を遂げた。「二刀流」は不可能ではないのだ。
「元祖二刀流」の関根氏は、大谷にこんなエールを送る。「二刀流でやるにせよ、投手と野手のどちらか一本に絞るにせよ、日本で実力をつけて、大リーグに行けばいいですよ。僕なんていい加減にやっていても、なんとか二刀流ができちゃったんだから(笑い)」。
※週刊朝日 2013年1月4・11日号