一方、関東の地下鉄で冷房車が導入されたのは、1985年にデビューした横浜市営地下鉄2000形(第三軌条の車両)。営団地下鉄は1988年と遅く、8年かけて冷房車の導入を急ピッチで進めた。

■エスカレーターの片側空けは阪急発祥

 駅では当たり前の光景と化しているエスカレーターの片側空けは、1967年に京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の梅田駅で採り入れたのが最初である。以降、全国的に広まったが、京都府を除く関西は左側、ほかの地方は右側を空けている。

 近年、JR東日本はエスカレーターの片側空けをなくし、立ち止まるよう呼び掛けたが、まったくと言っていいほど効果がなかった。昭和で根付いた文化は、そう簡単に変えられそうもない。

■電気式の自動改札機も阪急から

 自動改札機は東京地下鉄道開業時に設けられたが、当時は均一運賃のため、硬貨を挿入すれば通れるターンスタイルという、アナログな構造だった。

 現代の自動改札機は、1967年3月1日に京阪神急行電鉄千里線北千里駅に導入されたのが最初。きっぷのウラが黒、もしくは茶の磁気券を挿入口に通すものである。1980年代に入ると関西の大手私鉄や地下鉄などで普及した。当時、入場口、出場口とも、通行可は「〇」、通行不可は「×」を表示するのが一般的だった。

 関東地方でも昭和の時代から、一部の駅で導入されていたが、普及したのは平成に入ってから。通行可は「←」、通行不可は自動車の進入禁止標識を表示するのが一般的である。関西地方でも出入口表示を関東方式にした自動改札機も存在する。

■車椅子スペースを各車両に設けたのは大阪市営地下鉄から

 現在、通勤形電車を中心に、「フリースペース」と称した車椅子スペース(ベビーカーも含む)を各車両に設置している。その先駆けは大阪市営地下鉄で、1992年度の新製車から導入。既存の車両も改造やリニューアルにより、2011年以降は全車両完備となった(新交通システムのニュートラム用車両は、1・4号車のみ)。

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黄色い点字ブロックアナウンスはJR西日本から