落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「旅行」。
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大学4年の時、友人Kと「あてのない旅をしよう」ということになった。「棒の倒れたほうに行く」ルールで、池袋東口のドトールコーヒー前からスタート。とりあえずドトールのまわりを3周した後、西武池袋線池袋駅改札へ。
「とりあえず終点かな」と西武秩父駅までの切符を購入。各駅停車に乗る。車中を寝て過ごし、西武秩父駅下車。棒の指し示す方向にとにかく歩く。曲がり角や交差点ではとりあえず、棒。1時間も歩いたか。さっきから100メートルのあいだを行ったり来たりしていることに気づく二人。「このままだと俺たちバターになっちゃうよ」なんてなことを言いながら、手心を加えて棒を倒す。山道に出た。
一本道をひた歩く。昼飯も食べずにてくてく。話すことも無くなってくる。足が痛い。腹が減る。日が暮れかかってきた。「もう限界だよ」「どこかに休むところはないかな」「わーっ!!」。Kが何かに気づいた。
見ると、外灯にボロボロのテディベアが紐でグルグル巻きに結わえ付けられていた。首から「高橋」と書かれた札をぶら下げている。明かりに浮かび上がる苦悶の表情。「手を繋いでいい?」「オレも言おうと思ってた」。二十歳回った男が二人、手を繋ぎ目をつぶってその場を通り抜ける。怖くてしばらく無言で歩き続けたら、辺りは真っ暗。外灯もなくなった。完全に道に迷ったようだ。とにかく腹が減った。
「どうしたのー? こんなとこでー?」。間の抜けた高い声。手拭いでほっかむりしたお婆さんが呼びかけてきた。二人顔を見合わせて「女神だ」と呟く。初井言栄似の女神は「おむすびでも食べてくかい?」と家に招いてくれた。「とりあえず、お茶とお漬物ね」。生き返った。緑茶と大根の漬物がこんなに美味いとは! 「おまちどおさま!」。おむすびが六つ。朝から何も食べてなかった二人はペロリと平らげた。「お代わりかねえ」。女神が台所へ。今度は八つのおむすび。特大のヤツだ。頑張って口に放り込む。「食べるねえ!」。女神が再び台所へ。止めなければ!! もう無理。しばらくしてまた六つのおむすび……。