日本の野球の最高峰、NPB(日本野球機構)の球団に入るのは、東大合格よりも狭き門だという。そのうえ、日本人の元プロ野球選手が医師に転身した例など、過去に一つもない。
現在発売中の『医学部に入る2021』では、横浜DeNAベイスターズの元投手・寺田光輝さん(28歳)に取材。前人未到の領域に挑む決意と、ボールをペンに持ち替えて、来春の医学部受験に向け奮闘する理由を聞いた。
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父は内科医、父方の祖父と伯父は産婦人科医、父のいとこは外科医、弟は研修医。絵に描いたような医師家系だが、「『お前も将来は医者になれ』とは言われたことがありませんでした」と言う。
近所の公園にあった「壁」にボールを当てるのが好きで、小学3年生になると野球少年団に入った。だが中学2年生のとき、ひじを壊してしまう。軟骨や骨の小片が遊離して関節内で動き回る、いわゆる「関節鼠(ねずみ)」だ。摘出手術後、医師は言った。
「野球をやめるか、左投げにしろ」
かなり無茶な相談だが、寺田さんは思った。「『メジャー』というアニメの主人公だって、右投げから左投げに転向している。だったら、自分にもできなくはないんじゃないか」。
結局、右腕が回復するまでの約1年間、左投げで通した。稀有な運動能力に思えるが、「実は僕、運動神経がよくないんです。クラスでも中の下くらいで……」。
中学3年間は、ずっとベンチを温めていた。
■僕のせいで最後の夏が終わった
高校は地元・三重県の伊勢高校に進んだ。進学校として知られ、勉強についていくのがやっとだった。「最初の中間テストは320人中319位。でも1人退学していたので実質“ドベ”です(笑)」
野球部では2番手の投手だった。野球の強豪校ではないが、高3の春は県ベスト4に進出。夏の三重大会では4回戦で菰野高と当たり、1対8で7回コールド負けを喫した。この試合、寺田さんは4回途中、1点ビハインドの場面でリリーフに登板した。「でも5回、6回に一気に7点を取られてしまって。僕のせいで最後の夏が終わってしまった。それがみんなに申し訳なくて……」