10月、1軍での登板がないまま戦力外通告。2年間の2軍での通算成績は、31試合1勝1敗、防御率8・08だった。
「年齢も年齢やし、もう野球はやり切った、自分でもよくここまでやったと思えた。そう思った時点で、終わりですよね」
トライアウトには地元から友人が駆けつけてくれ、最後のユニホーム姿を見届けてもらった。野球からの卒業。晴れ晴れとした気分だった。
■これまでの人生で最大の「決断」
NPBが19年の現役引退選手を対象に行った進路調査によると、NPBおよびその他野球関係の仕事に就く人は77・2%。野球関係以外の仕事に就く人は15・7%となっている。
寺田さんはセカンドキャリアを考えたとき、自分にはもう一つやり残したことがある、と思い出した。「医療の道」である。誰から言われたわけではない。野球から解き放たれた心の奥底から、ごく自然に湧き上がった思いだった。それは寺田家に脈々と受け継がれるDNAなのかもしれない。
故郷・伊勢市に戻り、受験勉強に取り掛かった。そんな寺田さんに、中学時代に通っていた進学塾「進学塾IZM」の社長が声を掛けた。「受験生は毎日勉強、勉強で視野が狭くなっている。そんな彼らの悩みを聞いてやってほしい。それはいろんな経験をしてきたお前しかできないことだ」
現在、寺田さんは月~土曜の17時半から22時半までは進学塾IZMで、さらに水、土、日曜の9時から14時まではスポーツジムでアルバイトをしながら、受験勉強に励んでいる。
「最近、相談に来る高校生が増えてきました。勉強のことだけじゃなく、『心を強くするにはどうしたらいい?』と聞いてくる子がいたり、『寺田さんのおかげで毎日塾に通うのを楽しみにしている』とお母さんからお礼の電話をもらったり。僕としては、みんながやる気になってくれたらそれでいい。どうしたらうまく伝わるのか、毎日考えています」
寺田さんには目指す医師像がある。これまで関節鼠の摘出やトミー・ジョン手術、肺炎、急性胃腸炎、ヘルニアの手術と、さまざまな医師の世話になってきた。だからこそ「患者さんの気持ちに立って、患者さんに寄り添える。そんな医者になりたいと思っているんです」と言う。志望校はまだ決めていない。編入試験で、受けられるところはすべて受ける気構えだ。受験科目は、得意の英語と生命科学で勝負する。
■もう野球はやり切った。そう思った時点で、終わりですよね
これまで人生のいろいろな岐路で決断を下してきた。しかし医師を目指すという今回の決断は、「これまでの人生で最大のもの」と言う。実はベイスターズを離れるとき、チームメートとの会食の席で梶谷隆幸選手にこう言われた。
「はっきり言って、お前はクビになると思ってたよ。センスもねえし、能力も低い。頑張ってるのはわかるけど、無理だと思った」。本人を前に辛辣な言葉だが、梶谷選手は目に涙を浮かべて続けた。「俺は家族ができて、守るものができて、命懸けで野球をやってる。お前は医者を目指すんだろ。それなら命を懸けて、人生を懸けてやれよ」
何が何でも医者になってやる。そう覚悟を決めた瞬間だった。
「合格したら? そうですね。真っ先に梶さんに報告して、メシをおごってもらいますよ(笑)」