■運命のドラフトと、野球からの卒業

「さすがに身のほどを知ったというか、もう野球をやめて三重に帰ろうと思っていました。地元の銀行から内定をもらっていたし。ところがコーチから、『お前、何あきらめようとしてるんだ。独立リーグというのがあるから挑戦してみろ』と勧められて。確かに、ここで野球をやめたら一生後悔するかもしれない。そう思い直したんです」
 
 ルートインBCリーグの石川ミリオンスターズ(金沢市)に入団したのは、2016年のことだ。ところが地元私立大学との練習試合で、まさかの3失点を喫してしまう。「レベルが下と思っていた相手にボコボコにされた。それが悔しくて、もう一生打たれたくない、と思いました」
 
 相手打者を幻惑させるため、サイドスローにフォームを変えた。それが奏功して、その年は40試合で3勝1敗19セーブ、防御率1・11という抜群の成績を収め、一躍、NPB(日本野球機構)のスカウトが注目する存在となった。だがこの年は惜しくもドラフト指名漏れ。そのショックからか、オフには肺炎や急性胃腸炎を患い、体重は8キロも落ちてしまった。
 
 2年目は不調だったが、フォームを修正して持ち直す。そしてその秋、NPBのドラフト会議で横浜DeNAベイスターズから6位指名を受けた。

「名前が呼ばれたときは驚きました。チームメートの寺岡寛治(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)と間違えたのではないかと」というほどのサプライズだった。入団発表の席で寺田さんはこう言った。
「体が小さかったり、野球センスがなかったり、レギュラーでなかったりしても、プロで通用するんだという、子どもたちの目標となれるような選手になりたいと思います」
 
 紆余曲折の末、ついにプロ野球という最高峰の舞台にたどりついた。しかしレベルの高さは想像以上で、体は悲鳴を上げた。6月の2軍の試合中に腰痛を発症。椎間板ヘルニアと診断され、8月に手術。順調に回復したが、2年目に今度は肩を痛めてしまった。起死回生を図ってアンダースローに挑戦したが、だめだった。

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戦力外通告、2軍で2年間、そしてトライアウト