今年10月、世田谷区は「認知症とともに生きる希望条例」を施行した。当事者や家族の意思を尊重した内容で、“認知症のバリアフリー”を目指す。全国的に認知症患者や家族をサポートする自治体は増えているが、今回の条例を施行した保坂展人世田谷区長に、その思いを聞いた。
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5年前に亡くなった私の母も認知症でした。5年ほど患っていました。
認知症と聞いたとき、「母が違う世界に行ってしまった」とは思いませんでした。でも、1日前の記憶がなかったり、好きだったニュースを見なくなったりとか、できなくなることが目立つようになりました。介護していた妹は、「母が別人格になった」とショックを受けていました。
認知症になると、「何もできなくなる」という考えがあります。しかし、母は自分で考えていたし、人生の中で培ったものを簡単に忘れることはありませんでした。
特に昔の記憶は鮮明に残っていました。好きな歌や戦争中のこと、自分の少女時代のことです。母は一流銀行に就職しましたが、鼻をつまんで先生のふりをして「この子は特別に素晴らしいから採用してくれ」と電話したそうです(笑)。つらいこともありましたが、そんな母と向き合って話を聞きました。
記憶がなくなるハンディがあっても好きなことはできます。それをするのは本人の幸福感につながるし、家族もうれしい。
当時の母の周りには、認知症の親がいる家族が語り合う場がありませんでした。家族が面倒を見なければという意識も強かった。当時はまだ、人格を否定するような対応も見受けられました。こうした状況は変える必要があります。
国会でも認知症基本法(案)が議論されます。世田谷区のように、認知症の方の意思が尊重され、自分らしく生きる“希望”が持てる理念を入れてほしいです。「認知症」という3文字で絶望を感じるような社会のままではいけません。
(本誌・吉崎洋夫)
※週刊朝日 2020年11月13日号